起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

人間は、みんな最低のゴミクズ野郎。

人間みな、どうしようもないゴミクズ野郎。


おまえもゴミクズ。おれもゴミクズ。


だからこそ、互いのクズさを認めあい、許しあおう。

 

 

という思想を僕は持っています。


日々の暮らしのなかで、自分のクズさに気づきうんざりし、他人の信じられない行動にイライラする。その感情の落としどころとして得た思想です。

 

ほんと人間はどうしようもない。魅力的に見えるのは表面だけ。

「この人ともっと仲良くなりたい」と思って近づいてそばで過ごすほど、「なんじゃコイツ。頭おかしいんか」という部分を知る。お互いに自分の全部がバレる。

みんな外に出している自分はあくまで「外に出していい」と判断した部分だけ。ダメな部分に思えるところも、外に出してもいいダメな部分だけ。本当にやばい性格は出せないし、自分で気づいてもいない。

 

 

今年1年で、誰かにアドバイスをするのもされるのもダメになった。
僕はエラそうに他人のことをウダウダ言える人間じゃない。そんな人間はどこにもいない。

みんな自分が持っている才能で精いっぱいやっているんだから、他人がとやかく言えることは何もない。

 

「あなたは時間にルーズだからダメだ。このままだと信用をなくすから改めなさい」

たしかにおまえは遅刻しないが、その代わり、機嫌が悪いとイライラを全身から出しまくって関係ない人に当たる。大人なら怒りくらいコントロールして、周りにはいつも笑顔で接しろ。

 

こんな感じで、他人ができないことを自分がしっかりしていたとしても、その分どこか他のところができていないもの。


もし自分が、特に人から注意されたことがないのなら、それは自分が完ぺきなのではなくて、ダメなところを周りの人が許してくれているのだと思う。

 

 

人には欠点がある。

それでも欠点と長所は表裏一体だから、同じだけ素敵なところもある。

「コイツ最悪」と思うところも、「でもだからこそいいときもあるな」と思い返し、個性を許し、認めあい、補いあうことができたのなら、世間で暮らすのも悪くない。

好きなことを仕事にするって難しい

「これからの人生って仕事がほとんどだから、仕事が嫌なものだと生きることが嫌になりそう。それはあかん。好きなことを仕事にすれば、人生=楽しい。になるのでは」

これを21歳で思いまして、現在27歳まで変わらず思っています。そんな僕が最近考えてること。

 

◆「好き」「楽しい」には色々な要因がある

「うひゃー楽しいー」と脳内麻薬が出てそうな状態で仕事のことを考えていた時期がある。23歳、つらかった会社をやめて独立を考えてた頃。取り組む仕事やつくりたい会社像をテンション爆上げで妄想していた。夜寝ようとしても仕事のことを考えてしまって、「こんな状態ではいずれ死ぬ」と恐怖し、知り合いの社長にオフの過ごし方の相談までしたことがあった。

あれが自分のなかで強烈な思い出になっていて、最初の起業が失敗したあとも、「もう一度あんな感じで仕事をしたい」と願っていた。しかし、あれは追いかけてはいけないものだった気がしてる。

あの時、死ぬほど楽しかったことの要因は好きなことだったからだけではない。たぶん起業童貞的な。「セックスとはどれだけ気持ちいいのだろうか?」と想像しているときが一番ワクワクする。はじめて考えるビジネスモデルや会社のあり方、会社をやめた開放感とが楽しさに繋がっていたのではと思う。そして、そのおかげで楽しいと思える期間は終わってしまったのだろう。

「俺はもう野球はいいや。どうしても動けていた頃の自分を追ってしまう」

というある野球漫画のセリフを思い出す。中学時代はいい選手だったが怪我をしてしまい、高校野球でも思うように活躍できなかったキャラの決断。

1番輝いていたころの自分を追うことを諦める。いい意味でオッサンっぽい。

仕事が楽しくて死にそうだった時期を「アタマがおかしかったころ」と呼んでいる。あの頃の自分はどうかしていた。バブル景気みたいな。あれは2度とないので、理想にしてはいけない。あんなことはなかったことにする。

 

◆あの狂ったような楽しさを童貞喪失ボーナスと呼んでみる。

イデアがどんどん出てくるとか、やりたいことがいっぱい状態って若いうちだけな気がしてきた。経験済みの物事が増えて色んなことの童貞喪失ボーナスがなくなる。楽しい部分だけではなく大変な部分も知ってくると、楽しさよりも苦痛が上回ってくる。そして行動力がなくなる。

 

◆いかに自然にできるか。どれだけ楽しいかよりもどれだけストレスがないか。

最近は、好き、楽しいプラスの方にどれだけ高いかよりも、マイナスがどれだけないか?の方に興味がある。やりがいや達成感のある仕事はだいたいストレスも多い。全部の仕事がハイリスクハイリターンではちと怖い。

「小さいが、でも確実に着いている情熱の火」
そんなものが自分にある気がしてる。特に管理はしてないが、いつでもチロチロ燃えている。そんな感じの好きなこと。そういう小さい情熱でコツコツ継続していくと価値が大きくなるもの。そういう仕事がひとつ欲しい。小さな情熱、大きな価値。

 

◆全部たまにやるから楽しいだけ

「楽しいけど毎日やるもんじゃない」ということが多い気がするのだな。
なんでも仕事にしようと思うと時間をかけないといけないが、時間をかけるほど楽しくなくなる。ニンゲンって継続がそもそもできない生物だと思っている。どんなことも毎日やるとつらい。「キャー!楽しいー!」って分かりやすく楽しいことほどその傾向が強い気がする。ディズニーランドはたまに行くから楽しい。

なので「好きなことを仕事にする」とは「楽しいね!」とすぐ言えるようなことではなくて、「別にいちいち感動しながらやってないが、それでもなんだかんだ10年やってる」みたいなことを自分の「好き」と捉えて仕事にしてみるのがいいのでは?というのが好きなことを仕事にする6年目現在。

会社名を考えました

2017年1月から始めたライターが、おかげさまで2年近く続いております。僕のなかでやりたいテーマが1年以上続くのは初めてのことです。

これまで大学生〜社会人でやってきたテーマ、政治、教育。どちらも最後は「ワケぇもんがやることじゃねえな!」と思ってやめています。が、ライターはやればやるほど可能性を感じる逸材。

なのでこのあたりで、僕が仕事としてやっていきたいこと。「世の中こういう風になったらいいじゃんね」と思うことを言語化し、会社名やメッセージとしてまとめたい次第であります。現在、候補が2つです。

1、ボリション
英語で「人の意志」を意味します。

意志、というのは僕が1番大事にしていることです。
中学のころに(親や先生の言うことに素直に従って自分の意志がないのってちょーやべえ!ちょーだせぇ!)と思ったり、会社をすぐにやめて「好きなことで起業しよ♪」で起業して失敗して、やりたいことがなくなって引きこもったりした経験があるからでしょうか。

「これやりたい!」
そう言えるだけですんばらしいのです。内容は別になんでもいいのです。

あの自分の内から強烈に湧き上がってくる衝動のために行動することこそが、人生の目的であり、最大の楽しみだと思ってます。

なので僕は、もっといろんな人の意志を見たいし、一緒にやりたいし、応援していきたいのです。人の意志に寄り添う会社。それがボリション。

2、発信基地
最近のテーマが「発信」なのでそこから思いつきました。
僕はこれまで、自分のやりたいことを外に言いまくってきました。発信することで仲間や応援してくれる人が見つかって、結果やりたかったことが実現してきました。これ非常に楽しいし幸せになれるのでオススメしたい。

なにか成し遂げたいことがある人。
とんでもねえスケールの小さい話でない限り、1人では実現しないと思います。なぜなら人間には個性があって、自分にできること、できないことがあるから。だから絶対に他の人の助け、仲間になって一緒にやってくれる人がいないと無理。

この仲間をあなたのとこに呼ぶために発信が必要だと思うんです。他人が自分の人生を使ってもいいと思ってくれる言葉を届けることが。

 

僕が見たい未来像は、SNS見たらみんなが自分のやりたいことを投稿していて、それにいいねや応援のコメントがいっぱいついている。ってやつです。

僕、「これやりたい!」っていう投稿に「そんなん無理でしょ」みたいなケチをつけるコメントするやつがすげえ嫌いなんです。お前には関係ないんだから好きにやらせておけよと思ってます。人の意志を邪魔するなと。

結局、ああいう人は自分のやりたいことを否定してきたんだと思います。だから他人のやりたいことも肯定できない。

なので自分のことを発信する人が増えて、そういうのが当たり前になったら、自分の気持ちにふたをして、そんな自分を肯定するために他人の気持ちにまでふたをしにいくような哀れな連中が減るんじゃないかと。

自分の気持ちを発信して仲間を集めて、楽しいことをする人が増えてくれればいいなと。

そのために、人が自分の思いを発信する拠点になるような会社になればいいな、そんな仕事は楽しそうだなってことで社名、発信基地。

 

いまのところ発信基地が優勢。基地ってなんかいいよね。会社、より基地がいい。

人間不信になりましたが持ち直しました。

最近のできごと。

1、引っ越しました。埼玉県民になりました。
今まで住んだところ。千葉、群馬、東京、京都。こちらに埼玉入りまーす。

「あちこち住みたい欲」が僕にはあります。同じとこにずっと住んでると逆に落ち着かない。
京都にいたころも、引っ越して半年ほどたったくらいで(もう半年か…。このまま居ていいのか?そろそろ引っ越すか!?)と謎の危機感がありました。定住恐怖症と命名します。

ほんといろいろ住みたい。いろんなまちを見たい。日本の全県を制覇するだけでも1県1年で47年。とりあえず、いま思いついている住みたい場所は、

・香川県。うどん食べたい。うどんの食べ過ぎで糖尿病になって死にたい。

・九州のどこか。(おれ、九州にいるな)ってしみじみ思いたい。関東と関西はだいたい雰囲気が掴めたので新天地へ。

・漁村。漁船がいっぱいある港町に住みたい。週3でお刺身食べたい。お刺身と醤油であたたかいご飯をほおばるのがとても好きだと今年気がつきました。あと毎日夕日と海を眺める生活をしてみたい。夕日のある生活。ステキな気がする。

2、人間不信にだいぶゲージが振れていましたが少し持ち直しました。

お互いの思想や生き方に共感して、時間をかけて関係をつくったつもりだった人と別れました。一緒に仕事をするつもりでしたが白紙!

別れてすぐは(共感もして、丁寧に関係もつくって。これでダメならどうすりゃいいのよ。本気で他人と仕事をするなんて無理なんじゃ)と、いまシス卿に口説かれたらダークサイドに寝返って「ジェダイが悪い!」とパダワンを皆殺しにするところでしたが、最近新しい出会いでとても充実した仕事ができたので、すぐに暗黒面に堕ちることはなさそうです。

 

人間、年を経るごとに、期待と失望、裏切り裏切られを繰り返し、大きく傷つくことがないよう人間観はドライになっていくものだと思っていますが、最低限の希望は持ち続けたいですね。

今回、最後の気持ちの落としどころは(出会いはくじ引きみたいなもんだな)ってことでした。当たりもあれば外れもあるということで。
人は変わり続けるので、いまある関係も永遠ではないことを頭に留めつつ、しかし!当たりが出ることを信じて!くじは引き続けたいと思います!!

【AI】未来への仮説と問題意識について

AIとかブロックチェーンとか特に興味ないんですけど、でもなんとなくこうなるなーと思っている未来のはなし。

 

仕事は減り、休みが増える

AIが発達して、ロボットが色々なことをやってくれるようになると、個人の「やらなきゃいけないこと」がどんどん減っていくと思うのね。(まずこの仮説は合っているのか)

例えば、週に2日仕事をするだけで、今と同じ生活ができるようになったりとか。そうなると自由な時間が週2から週5になる。人に言われたことをハイハイとやるのではなく「なにをやるか?」から自分で決めないといけないことが多くなる。

でも「なにをやるか?」から自分で決められることって、とても少ないと感じています。

 

学校も会社も、やることは決められている

学校なら1日の時間割があって、宿題もあって部活もあって、いずれは進学しないといけなくて、だから受験勉強をしないといけない。ということが決まっている。

会社に入っても同じ。僕がいた所は1日にやらないといけないことが決まっていて、それをこなしていると夜になっていました。これを週5。休みは疲れて家に引きこもっていたら終了。

 

自分の意志を深める機会がない

AIAIゆうて「AIに取られない仕事は何か?」「人間らしさとは?」みたいな話があるけど、僕は「なにがしたいか?」という問いに対して「これがしたい」って出てくる意志が人間らしさ、もっと言えばその人らしさ、個性だと思っています。

だから、人間らしさや自分らしさを追求したければ「自分はなにをしたいか?」を追求するしかないと思うのだけど、今の学校や会社ではそれができる時間がないし、「あなたはなにがしたいの?」なんて優しく聞いてくれる人もいない。たまに気を許してしゃべってもボコボコに否定されるだけなので、来たるべき未来に向けて(あらー、これでいいんかな)とモサモサしています。