起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

やりたいことがあることの尊さ

最近気づいた自分の欲求があるんですよね。欲求って生き方に繋がるじゃないですか。「おもしろいことをしたい!」って人はおもしろいことをする人生になる。だから自分にどんな欲求があるか考えることって大事。
 
 
僕の欲求は、
 
コソコソしたい!
 
コソコソ裏で動いて人を感動させたい。強烈なライトが当たる舞台に立って「いかがでしたか、みなさん!」なんて挨拶せずに、会場の隅から興奮する観客を見て、ひとり満足げに微笑みたい。
 
 
 
 
…暗っ!!
 
もうコソコソしたい自分を受け入れましたが、発見して5日くらいは自分の暗さに引いてました。
 
でも前に出たいタイプじゃないしね。みんな注目されると恥ずかしくて顔が真っ赤になるしね。本当は出来るだけ自分の影を消したいんだ。※ブログは例外
 
 
 
京都の仕事仲間、K藤と一緒に居て気づかされたんです。
 
K藤は僕の分身みたいなもんで、K藤を人に紹介する時は「僕がもう1人いるって思ってくれればいいです」って言う。
それだけ共通する2人だから、細かい違いがすげえ目立つ。
 
K藤は自分が前に出てしゃべりたいタイプ。
僕は前に出たくないし、たいしてしゃべりたいとも思わない。
 
K藤は明るく夢を語る。
僕は冷静に現実を語る。
 
2人でお互いの違いについて問答していると、僕が暗いって事実ばかりが溜まっていくんですよ。言うほど暗くないのに!K藤と比較した時に、どちらかと言えばってだけ。全部K藤のせい。
 
 
 
コソコソの欲求に気づいてから意識していたのが、
 
自分の最大価値をいかに発揮するか?
 
です。
 
このコソコソを素直に受け入れるとしたら、組織の代表をやるのは違うんだよね。確実に裏方。
 
最近は2番手でもいいと思えるようになったので全然オッケーです。
東京で最初の起業を華麗に失敗したおかげで、無駄なプライドも少なくなってきたし、変な必死さもなくなったし。
 
他人のビジョンを信頼できるようになったというか。
昔だったら人がやりたいことに対して「なんでそう思うんですか?」って詰めまくったけど、今はだいたい共感できれば「いいですね」で終わり。
 
自分の方が優れてるって証明したかったのかもね。だから人の考えの浅さを露呈させたかった。自分のビジョンの方が深く考えられてて本質的だって思いたかった。そんな気がする。
 
自分のビジョンが1番だって思わなくなったなぁ。
 
ニートの時にやりたいことなくなって、何のために生きたらいいのか分からなくなった。
あの時間を経験したから、やりたいことがあるってそれだけで尊い
だから他人の夢に触れると「素敵です」ってなる。尊い気持ちでいっぱいだから、うっとうしい議論を吹っかけようなんて思わない。「ぜひ実現しましょう」ってなる。
 
 
今ひとつ、ライターとして実現したいサービスがあって、それは絶対カタチにしたい。
逆にそれが出来たらコソコソ生きる方、人の夢を実現する方に専念しようかなぁ。K藤という共感し、信頼できる、そして僕より明るいやつがいますからね。非常に担ぎやすい神輿。K藤を担いでわっしょいわっしょいですわ。

障害者が健常者よりもお金を稼げるようになったらおもしろい

2017年1月からライターとして仕事をしています。
文章を書くこと自体は16歳から習慣だったのですが、仕事にして気づいたことがあります。


文章書ける人って意外と少ない。書くことが習慣になってる人って少ない。


「だから仕事になるんだろ」って話なんだけどさ。自分の中で書くことが当たり前になり過ぎてて、自分が書けることに対してなんとも思ってなくて。
でもこれを仕事にしようと決めた時、はじめてスキルとして見つめた時に「書ける、ってけっこう価値あるな」と気づきました。

 


ということで、
「すごいおもしろいことを言ってるのに、それを文章にする気はない人&文章に出来ない人」
と僕が対話をして、文章にまとめて発信していく活動を始めます。


今回は以前に別の記事でご出演いただいたN部くんです。

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N部くんは若年性パーキンソン病で、現在車椅子で活動しています。障害のある人、ない人の橋渡しをしたいそうです。

 

彼らと過ごして楽しかった時間。それを伝えたい。

N部「小学五年生から歩きづらくなって来て、それで病気だと分かったんだよね。中学は普通校だったけど、高校から特別支援学校に行った。特別支援学校ってほんと別世界で、普通の学校では出来ない体験ばかりだった。割と馴染んで楽しめたしね。それまでは自分以外の障害者とあまり関わったことがなかったから、同級生と一緒に過ごした3年間で自分の価値観が大きく変わった。


彼らと接するのは楽しくて、感じて学べたものがあった。特定の人とのコミュニケーションでしか得られないものがあると思っていて、彼らとの関わりでしか得られないものもある。それを怖い、分かんないで避けるのはもったいないと思う。自分と違う相手だからこそ多く感じることがある。彼らと過ごして楽しかった時間。僕はそれを伝えたい。彼らと接さないのがもったいないっていうのを伝えたい。知らないことを拒むのがもったいない。否定するのはもったいない。自分が否定していることってたくさんあって、それをひとつひとつ解決するのが自分の価値観を育てる方法だと思う。自分が許せないものを(なぜおれはこれが許せないんだろう?)と内側に問いかけて処理していく。そうするとなんでも受け入れられる豊かな人生になるよね」

 


自分の価値観を育てる、っていい言葉だな。自分の否定していることを解決していく。ちょうど最近「自分が否定していることに挑戦すると世界が広がる」って気づいたばっかりだから激しくキャッチした。

僕の周りに障害者ってN部くん以外いなくて、それこそ彼らが何を考えてるか分からなかったけど、N部くんと出会って話しておもしろかった、友達になれた。この経験のおかげで新しく障害者に出会ってもフラットに接せる気がする。

 

 

障害者が健常者よりお金を稼げたらおもしろい

N部「障害あるなしの橋渡しをしたい。そのために繋ぐための土壌をつくる必要がある。ネットで『障害者に価値はない』ってコメントを見るのが現状で、そう思ってる人は多いと思う。そういう人たちに彼らの価値を伝えるために、例えば、お金というアプローチで価値を証明していきたい。障害を価値として発揮して、健常者よりもお金を稼げるようになったらおもしろい。福祉の気持ちで障害者に接するのではなく、自分にメリットがあるから障害者に関わるような感じ。

 とりあえずN部が『こいつはいい障害者だ』っていう位置にいたい。健常者にとって感じのいい障害者になる。それが橋渡しの一歩目」

 

障害を価値として発揮して、健常者よりもお金を稼げるようになったらおもしろい。

このビジョン好きなんだよな。障害者支援のゴールだと思う。障害者が支援する人ではなく、健常者と対等、それ以上になるっていうビジョン。
自分の個性のすべてを価値として発揮できるようになりたい。ってのは僕が個人として願ってることだし、多くの人が望んでいることだと思う。障害者だって同じ。助けられるだけの存在じゃない。

 

 


今回の出演はN部くんでした。

こんな感じ、インタビュー記事とはちょっと違う雰囲気で、僕の人生に登場した人の物語を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 補足

N部くんが以前に登場したのがこちら。

karasimentai.hatenadiary.jp

 

 

めんどくさがり最強説

僕はめんどくさがりです。特に役所関係の雑務、住所変更とかすげえめんどくせえ。実家の群馬から京都に引っ越して来て1ヶ月経ったけど、未だに群馬県民です。そろそろ変更しに行かないと…。
 
 
この一見すると短所なめんどくさがりが、実は僕に素晴らしい能力を与えてくれている気がします。ということで、めんどくさがり最強説を唱えていきたい。
 
 
1、本質思考が身につく
ほんとめんどくさいんで、基本なにもしたくないんですよ。だからなにか行動を命じられると「それは本当にやる意味があるのか?」って考えます。つまり物事の本質を追求します。なぜやるのか?なんのためか?誰のためか?
(学校でやらされることってほぼ意味ないんで、これをやると生きづらいことこの上ない)
 
具体例として、高校1、2年の時に卒業式をサボタージュしてました。
「卒業式めんどくせ。3時間座ってるだけでつまんねえし。そもそもなぜ行かないといけないのか?卒業式はなんのためにやるのか?…。卒業する3年生のためだな。3年生達に感謝を伝えるために在校生は出席する。おれは別にお礼を言いたい先輩いない。ただの賑やかし。居てもいなくても変わらない。じゃあ行かなくていいよね!」みたいな。
 
 
 
 
本質思考は、自営業として仕事をする上で非常に重要なスキルになっています。
 
なんのために仕事をするのか?
本当にそれが顧客のためになっているのか?
自分はどう生きたいのか?
 
まあ因果関係としては、本質思考が身についているから起業できるのではなく、物事を深く考えすぎるから普通に働けなくなるんですけどね。
 
とにかく、自分で考えられるようになるってことです。しかも「それはやる意味があるのか」と深いところまで考えられます。
 
なぜならめんどくさいから!!
 
「それは本当にやる意味があるのか?」という問いも、本質を追求したいという哲学的姿勢からではなく、出来ればやりたくないからという理由で始まりました。だから「うんたらかんたら…。つまり本来の目的を考えればこれは全く意味がないですよね。ってことは僕やらなくていいですよね!さようなら!」ってなるのが青春時代の理想のゴールでした。
 
でもその過程で本質を発見したりするんです。「目的はこれだから…。うんたらかんたら…。おや、ということは本来はこうすべきだな」的な感じで。
 
めんどくせ、からの本質の発見。
 
 
 
 
どうでしょう?めんどくさい最強説。
 
僕の本質思考って絶対「めんどくさい」から来ている。人に本質思考、物事を深く掘り下げていく考え方を教えようと思った時に気づきました。おかげでクズな自分を少し愛せるようになりましたよ。
 
いい反応がいただければ「めんどくさがり最強説」さらに提唱していきます。
 
 
 

自分のためより、人のための方が頑張れる

最近思うけど「自分のため」って意外とモチベーションにならない。自分のためなら、まあこんなもんでいいか。ってなる。特に生活費を稼ぐためのバイトがそう。1日多く働くより、1日多く休みたい。働かない分、自分の生活水準を下げればいいだけだから。
 
 
去年の年末に鮮魚店でバイトしてたのね。実家から京都に引っ越す前に少しでもお金を稼いでおこうと思って。時給が高かったんだけど、その分仕事も大変で。自分のためっていうモチベーションが切れそうになった時、変わりのガソリンになったのが「友達のため」だった。
 
友達と、京都に引っ越す前に東京の美術館に一緒に行こう。って約束してて。その友達はニートだったからお金持ってなかったんだけど「おれがお金出すから」ってことで行くことになったのね。
 
そういうんで「彼と美術館に行くために稼がねば!」と思ったら元気が湧いて来て。「彼を楽しませるために働こう!」と思ったらもっと元気が湧いて来て。そうやってきっついきっつい年末のバイトを乗り切ったのでした。



こんな経験があって「自分のためって実はがんばりきれないよなー」と感じていたところ、あるセミナーでその科学的根拠を頂きました。


人間のホルモンでドーパミンとアドレナリンとノルアドレナリンがある。これらが脳内で出されるとやる気が出たり、気持ちが前向きになったりする 。

ドーパミンは、火事場の馬鹿力、的なやつで追い込まれた時に出る。アドレナリンは締め切りがあったり、叱られると思うと出る。ノルアドレナリンは承認、褒められると出る。


そしてこれらすべてを上回る、強いモチベーションを与えるホルモンがエンドルフィン。

じゃあエンドルフィンはどういう時に出るかというと、
「人のため」「感謝の気持ち」で行動する時に出るらしい。
友達を喜ばせるためのサプライズの準備だったら、夜遅くなっても全然平気。みたいな。同じ夜遅くなるでも、それが仕事だとね…。


ということで、自分のためよりも誰かのための方が人はがんばれるらしい。感情ではなく論理で説明されると納得できますね。
 

(そういう意味で結婚って素晴らしいシステム。虚しい仕事にも「家族のため」と思えば意味を見出せる。ふーん、上手くできてんな)
 
 
そのセミナーはビジネスモデル構築のセミナーだったので、
 
「誰のためにやる事業なのか?それを盛り込んだグランドデザインを描きましょう」
というまとめでした。
 
僕が仕事のテーマにしてるのは「顧客第一」
今年はこのテーマを自分の血肉としたい。
 
わざわざテーマに据えているほどなんでまだ出来ていないんですが、より高いモチベーションで出来るとなればやはり顧客第一!
 
 
「おまえは誰のために仕事をするのか?」
 
これを自分に問いかけ続けていきます。
 

処刑場としての会社

一度死ねばいい

最近、たまたま出会った学生に進路についてコメントを求められたら「1回会社に入ればいい」って言います。起業したい、みたいな夢を持っている子には特に就職をオススメする。

なぜなら、一度死ねばいいと思うから。

死ぬため、殺されるために会社に入る。

まあもちろん、命がdeadじゃない。

 

働いてみて社会の現実に打ちのめされればいい。

自分が描いている理想が妄想だったと気付けばいい。

自分が考えていたことがいかに空虚か。いかに現実を踏まえていない妄想だったか。生活費を稼ぐために働くことがどれだけ大変か。

そうやって毎日に疲れて理想を捨てて忘れて、学生の頃には絶対なりたくなかった、つまらない大人になっている自分に失望すればいい。精神的に死ねばいい。

そこから生き返ったら本物。会社と社会がおまえを殺しに来ても死なずに済んだら本物。

自分の理想が妄想だと気づいて自分の空虚さに絶望して、それでも消えない、もう一度現実を踏まえた理想をつくれるか。つまらない大人になりきらず、理想の人生を歩くことが出来るか。

そういうことで、一度死ぬ経験、社会に殺される体験はとても大事だと思うのです。

で、その体験を簡単に提供してくれるのが会社かなと。自分から死ぬって難しいし、他人に殺してもらうのも難しい。

 

諦めたくても諦められないものがあるか?
僕自身、2016年8月から2017年10月まで死んでいましたのでね。最初の起業失敗した後のニート&フリーター期の1年間は精神的にどん底で、本当に何も考えず、ただ日々を流していただけだった。

そこから浮上して来た今、一度死んだことで得られたものがたくさんある。捨てられたものもたくさんある。強制的断捨離。持っていたものをすべて失って、それから取り戻そうと思う時、もう一度欲しいと思うものは意外と少ない。何が大切なのか、誰が大切なのか。

どん底まで落ちても離さなかったもの。どれだけ忘れようとしても消えない想い。

諦めないのではなく、諦めたくても諦められないもの。

それが本当に自分がやるべきことだと思います。

 

僕が忘れられなかったのは、

「世界で1番、社員が幸せな会社をつくる」という起業当時に掲げた夢でした。

人が幸せに働ける会社をつくりたい。

仕事ありきではなく、人ありきで組織をつくり業務を回す。人は誰でも才能があり、それを発揮できる環境をつくれば、働く人が幸せでかつ生産性の高い企業になるはずだ。という想いです。

 

必ず帰って来い
ということでタイトル、「処刑場としての会社」です。現代にそびえる断頭台。そこで首を刎ねられても、新しい頭がにょきにょき生えてくるやつが本物。みんな一度死ねばいい。そして、必ず帰って来い。