やりたいことがあることの尊さ
障害者が健常者よりもお金を稼げるようになったらおもしろい
2017年1月からライターとして仕事をしています。
文章を書くこと自体は16歳から習慣だったのですが、仕事にして気づいたことがあります。
文章書ける人って意外と少ない。書くことが習慣になってる人って少ない。
「だから仕事になるんだろ」って話なんだけどさ。自分の中で書くことが当たり前になり過ぎてて、自分が書けることに対してなんとも思ってなくて。
でもこれを仕事にしようと決めた時、はじめてスキルとして見つめた時に「書ける、ってけっこう価値あるな」と気づきました。
ということで、
「すごいおもしろいことを言ってるのに、それを文章にする気はない人&文章に出来ない人」
と僕が対話をして、文章にまとめて発信していく活動を始めます。
今回は以前に別の記事でご出演いただいたN部くんです。
N部くんは若年性パーキンソン病で、現在車椅子で活動しています。障害のある人、ない人の橋渡しをしたいそうです。
彼らと過ごして楽しかった時間。それを伝えたい。
N部「小学五年生から歩きづらくなって来て、それで病気だと分かったんだよね。中学は普通校だったけど、高校から特別支援学校に行った。特別支援学校ってほんと別世界で、普通の学校では出来ない体験ばかりだった。割と馴染んで楽しめたしね。それまでは自分以外の障害者とあまり関わったことがなかったから、同級生と一緒に過ごした3年間で自分の価値観が大きく変わった。
彼らと接するのは楽しくて、感じて学べたものがあった。特定の人とのコミュニケーションでしか得られないものがあると思っていて、彼らとの関わりでしか得られないものもある。それを怖い、分かんないで避けるのはもったいないと思う。自分と違う相手だからこそ多く感じることがある。彼らと過ごして楽しかった時間。僕はそれを伝えたい。彼らと接さないのがもったいないっていうのを伝えたい。知らないことを拒むのがもったいない。否定するのはもったいない。自分が否定していることってたくさんあって、それをひとつひとつ解決するのが自分の価値観を育てる方法だと思う。自分が許せないものを(なぜおれはこれが許せないんだろう?)と内側に問いかけて処理していく。そうするとなんでも受け入れられる豊かな人生になるよね」
自分の価値観を育てる、っていい言葉だな。自分の否定していることを解決していく。ちょうど最近「自分が否定していることに挑戦すると世界が広がる」って気づいたばっかりだから激しくキャッチした。
僕の周りに障害者ってN部くん以外いなくて、それこそ彼らが何を考えてるか分からなかったけど、N部くんと出会って話しておもしろかった、友達になれた。この経験のおかげで新しく障害者に出会ってもフラットに接せる気がする。
障害者が健常者よりお金を稼げたらおもしろい
N部「障害あるなしの橋渡しをしたい。そのために繋ぐための土壌をつくる必要がある。ネットで『障害者に価値はない』ってコメントを見るのが現状で、そう思ってる人は多いと思う。そういう人たちに彼らの価値を伝えるために、例えば、お金というアプローチで価値を証明していきたい。障害を価値として発揮して、健常者よりもお金を稼げるようになったらおもしろい。福祉の気持ちで障害者に接するのではなく、自分にメリットがあるから障害者に関わるような感じ。
とりあえずN部が『こいつはいい障害者だ』っていう位置にいたい。健常者にとって感じのいい障害者になる。それが橋渡しの一歩目」
障害を価値として発揮して、健常者よりもお金を稼げるようになったらおもしろい。
このビジョン好きなんだよな。障害者支援のゴールだと思う。障害者が支援する人ではなく、健常者と対等、それ以上になるっていうビジョン。
自分の個性のすべてを価値として発揮できるようになりたい。ってのは僕が個人として願ってることだし、多くの人が望んでいることだと思う。障害者だって同じ。助けられるだけの存在じゃない。
今回の出演はN部くんでした。
こんな感じ、インタビュー記事とはちょっと違う雰囲気で、僕の人生に登場した人の物語を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
補足
N部くんが以前に登場したのがこちら。
めんどくさがり最強説
自分のためより、人のための方が頑張れる
こんな経験があって「自分のためって実はがんばりきれないよなー」と感じていたところ、あるセミナーでその科学的根拠を頂きました。
人間のホルモンでドーパミンとアドレナリンとノルアドレナリンがある。これらが脳内で出されるとやる気が出たり、気持ちが前向きになったりする 。
ドーパミンは、火事場の馬鹿力、的なやつで追い込まれた時に出る。アドレナリンは締め切りがあったり、叱られると思うと出る。ノルアドレナリンは承認、褒められると出る。
そしてこれらすべてを上回る、強いモチベーションを与えるホルモンがエンドルフィン。
じゃあエンドルフィンはどういう時に出るかというと、
「人のため」「感謝の気持ち」で行動する時に出るらしい。
ということで、自分のためよりも誰かのための方が人はがんばれるらしい。感情ではなく論理で説明されると納得できますね。
(そういう意味で結婚って素晴らしいシステム。虚しい仕事にも「家族のため」と思えば意味を見出せる。ふーん、上手くできてんな)
処刑場としての会社
一度死ねばいい
最近、たまたま出会った学生に進路についてコメントを求められたら「1回会社に入ればいい」って言います。起業したい、みたいな夢を持っている子には特に就職をオススメする。
なぜなら、一度死ねばいいと思うから。
死ぬため、殺されるために会社に入る。
まあもちろん、命がdeadじゃない。
働いてみて社会の現実に打ちのめされればいい。
自分が描いている理想が妄想だったと気付けばいい。
自分が考えていたことがいかに空虚か。いかに現実を踏まえていない妄想だったか。生活費を稼ぐために働くことがどれだけ大変か。
そうやって毎日に疲れて理想を捨てて忘れて、学生の頃には絶対なりたくなかった、つまらない大人になっている自分に失望すればいい。精神的に死ねばいい。
そこから生き返ったら本物。会社と社会がおまえを殺しに来ても死なずに済んだら本物。
自分の理想が妄想だと気づいて自分の空虚さに絶望して、それでも消えない、もう一度現実を踏まえた理想をつくれるか。つまらない大人になりきらず、理想の人生を歩くことが出来るか。
そういうことで、一度死ぬ経験、社会に殺される体験はとても大事だと思うのです。
で、その体験を簡単に提供してくれるのが会社かなと。自分から死ぬって難しいし、他人に殺してもらうのも難しい。
諦めたくても諦められないものがあるか?
僕自身、2016年8月から2017年10月まで死んでいましたのでね。最初の起業失敗した後のニート&フリーター期の1年間は精神的にどん底で、本当に何も考えず、ただ日々を流していただけだった。
そこから浮上して来た今、一度死んだことで得られたものがたくさんある。捨てられたものもたくさんある。強制的断捨離。持っていたものをすべて失って、それから取り戻そうと思う時、もう一度欲しいと思うものは意外と少ない。何が大切なのか、誰が大切なのか。
どん底まで落ちても離さなかったもの。どれだけ忘れようとしても消えない想い。
諦めないのではなく、諦めたくても諦められないもの。
それが本当に自分がやるべきことだと思います。
僕が忘れられなかったのは、
「世界で1番、社員が幸せな会社をつくる」という起業当時に掲げた夢でした。
人が幸せに働ける会社をつくりたい。
仕事ありきではなく、人ありきで組織をつくり業務を回す。人は誰でも才能があり、それを発揮できる環境をつくれば、働く人が幸せでかつ生産性の高い企業になるはずだ。という想いです。
必ず帰って来い
ということでタイトル、「処刑場としての会社」です。現代にそびえる断頭台。そこで首を刎ねられても、新しい頭がにょきにょき生えてくるやつが本物。みんな一度死ねばいい。そして、必ず帰って来い。