「引きこもり」を再定義する
引きこもり。もうこの単語も普通に意味が通じるようになって来ましたね。でもそれぞれが抱いている引きこもりのイメージには違いがあると思います。引きこもり、という言葉がなにかを表現する際により使いやすいよう、元引きこもりとして引きこもりについて最近考えたことを書いていきます。
「空間的引きこもり」と「人間的引きこもり」
引きこもりには「空間的引きこもり」と「人間的引きこもり」がいると思います。
僕は人間的引きこもりです。「人に会えるゲージ」みたいなやつが僕にはついていて、例え仲の良い友達でも一緒にいる間は減っていく。ゲージが少なくなると、気を使うのが難しくなって人への対応が雑になる。自分の家に遊びに来てくれている友達にも「早く帰れ」って思います。別にコミュ障ではないけれど、でも他人と一緒にいる時間が長すぎるとテンションが下がる。それが人間的引きこもり。
空間的引きこもりは、自分の部屋から出なくても息苦しくならない、お外に出るのが苦痛なタイプ。僕は空間的引きこもりではないので、すみませんが説明はざっくりで。
一般に使われている「引きこもり」は空間的引きこもりと人間的引きこもりを一緒くたにして使われている気がします。あと引きこもり=ニート、みたいな印象も受けます。
僕は人間的引きこもりですが、空間的引きこもりではないです。なので人に会いたくないために家にいる時でも、だいたい夜には空間的にツラくなって買い物や散歩に出かけます。
ルームシェアをしていた頃の友達は、空間的引きこもりなので休日は基本ずっと家に居ました。でも人間的引きこもりではないので、電話で友達と話したり、LINEやFacebook、Twitterでひたすら人に絡んでいました。
僕は大学卒業後、4月から8月末まで5ヶ月間会社にいたのですが、精神的にずっとツラくて、休みの日は誰とも会わずどこにも行かず、ずっと家に引きこもっていました。
この現象を「会社で働くことが向いてない」と説明していたのですが、もしかしたら人に会いすぎて疲れていただけかもしれないですね。基本的に会社にいる間は誰かしらと一緒にいるじゃないですか。なのでどんどんゲージが減っていく。僕のゲージは、週5日の勤務に対して休みが2日では回復が間に合わない。だから僕はずっと調子が悪かった。仕事終わりに会社の人と飲みに行くのも、一緒にランチをしに行くのも嫌でしたから。でも別に会社の人が嫌いだった訳ではなくて、単純にひとりの時間が欲しかっただけ。人に会えるゲージを回復させる時間が欲しかっただけだったのではないかと今は思っています。
人間的引きこもりの新社会人へ
仕事はそこまでキツくないはずなのに、土日全く家から出れない。という新社会人は単に人疲れかもしれません。人に会えるゲージが普通の人よりちょっと少ないだけ。でもそんな人は働き方を考える必要があると思います。
僕はライター、文章を書くのが仕事なので、仕事時間の半分以上はひとりで過ごしています。これなら人間的引きこもりの僕でも大丈夫。仕事の受注はリアルでしか受けないので営業や打ち合わせもありますが、多くても1日に1件3時間ぐらい。これぐらいなら無理がない。
あと最近、電車や車で人と一緒に移動している際に「一旦失礼します」と断って、イヤホンで音楽を聴くというゲージ回復方法を実践しています。だいたい5曲も聴けば回復して人と話したくなるので、イヤホンを外して「ただいま」と言います。めっちゃ効果あるのでオススメです。特に友達との旅行中とか。「早く家に帰りたい」とか思わず旅行を楽しめると思います。
周りを見ると、人と丁寧に接する方ほど休日は人間的引きこもりが多いようです。気を使う分ゲージの減りが早いのでしょう。
僕も色々気にし過ぎる性質です。これは迷惑じゃないかな?不快に思われないかな?と考え過ぎてなんにも出来なくなります。そして疲れます。
これでは生きるのが大変なので、歳を取るごとに雑になって来ています。成長です。
(◯◯さんに会いたいけど、いきなり連絡して迷惑じゃないかな?忙しいだろうしなぁ。。って気にしすぎー。とりあえずメールしたらええねん。そら送信)みたいな。
人間的引きこもりの同志諸君。休日にバーベキューをするような活動的なリア充社会人にペースを乱されることなく、僕たちの日々をゆるやかに過ごしていきましょう。
最近思うこと【2017年4月 京都にて】
最近思うことをぴろぴろ羅列してゆきます。
ちょっと前から自分が生まれた意味、生きる目的を言葉で表したい思い始めまして。仕事の自己紹介で「僕はこのためにこんな仕事をしています!」ってパシッと言えるようになりたくて。そこで見つけたのが『オンリーオーダー』という概念だったりして。これについてはもうちょっとほじっていきたい。
黒歴史を発見
自分の心の海にダイブするような生活をしていたら、とんでもないものを発見してしまいました。黒歴史というやつです。僕の中でなかったことになっている期間。なぜなら人生で最も自分が弱かった時間だから。明確にいつの自分かは分かっているんですよ。小学校四年から五年までの1年間。あばばばば。ほら、どんな1年だったか言語化することを心が拒否しています。自分の弱さに向き合うとはこういうことか。弱さを受け入れて今の自分があると思っていたけど、まだまだ甘かったようでござんす。拒否反応がひどいので、とりあえずこれは保留。
15歳の自分との対話
これも対話事項がたまって来ました。
対話してどうなるか?僕の信念や価値観のアップデートが起きます。
例えば、15歳の僕の信念は「誰も頼りにならない。だから自分だけを信じて生きる」でした。これでこの10年過ごして来たんですけど、さすがに思想が古いので、今の自分の状況に当てはまらなくなって来ました。
15歳の時は周りにクソ野郎(ごめんなさい)しかいなかったので、誰の話も聞く必要はなかった訳です。しかし、この頃自分の周りにいる人を見渡してみると、いつの間にか尊敬できる人しかいないのです。マジで。っていうことは意地張って孤独気取ってないで、素直に周りの人から学んでいけばいいのです。
つうわけで「自分だけを信じて生きる」この信念いらなーい。ポーイ。みたいな。
これもけっこうストレスを感じますが、あばばば、と人格が崩壊するレベルではなく、ちゃんと人間のままで向き合えるので、ひとつひとつアップデートしていきましょう。
小説を書き始めました
小説を書き始めました。元々原案は頭の中にあったので、それをちゃんと文章化していこうかと。今の自分の中身で書けなくなるまで書ききりたいですね。喫茶店で書いてて自分で感動しちゃって泣く、ぐらい楽しく書いてます。期待。
文章の話題になったのでブログの話を。創作あるあるですが、自分が気合を入れて書いたものよりも、ぺろーっと軽く書いたものの方がウケたりしますよね。
ということで僕が「しょーもな!」と思って書かなかったような記事に、これから挑戦していこうと思っています。
仕事のやり方について
仕事のやり方について、ひとつスッキリしたことがあります。
僕は今まで、基本的にひとりで仕事をして来ました。そしてそれに美学を感じていました。でもこれも僕の古い信念で、そろそろ捨てようかなと思っています。
僕は「俺の考えたビジネスプランをみんなで実現しようぜ!」ではなく「このメンバーでやるとしたらどんなビジネスがいいかな?」というやり方が出来る人なんです。人の価値を引き出して、大きな1つの価値にまとめることが出来る。
「俺の考えたビジネスプランをみんなで実現しようぜ!」を図にするとこう。
僕はこう!
そういえば昔「あなたは鵜匠だね」と言われたのを思い出しました。
仲間と一緒にやることそのものが僕の夢なんです。だから何をやりたいかは一旦置いといていい。そこは自由になれる。
最初の起業を失敗した僕からのメッセージを思い出しました。
『1歩目から理想を体現できると思うな』
仲間と一緒にやる。ひとりでやろうとしない。最初から理想を体現できると思うな。自分で「浅いわ〜これ」と思うようなものでもいいから、とにかく一発当てる。
こないだ京都から淡路島に遊びに行って、このような意識をもらって帰って来ました。ありがとう淡路島(で僕に向き合ってくれたお方)
こんなところですかね、最近のモヤモヤしていたことは。今はだいぶサラッとして来たので書くことが出来ました。
追伸
京都では桜が見頃を迎えました。
【淡路島一棟貸しのゲストハウス】のびのび日和
淡路島にあるゲストハウス『のびのび日和』に泊まって来ました!
のびのび日和から見える景色はこんな感じ。
ほえ〜。みどりだ〜。
オープンしたばかりとあって、中はとってもきれい。古民家を買い取って改装したそうです。
漂う、田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家感。
ほっとして、のびのび。
この日は地元の人が集まって、淡路島のおすすめスポットマップをつくりました。
美味しいお店や遊び場を淡路島の地図に書き込んでいきます。
切りのいいところで中断して宴会へ。
わいわい
近所からご家族でいらしてる方もいました。
小さい子がいると、本当に親戚の集まりみたいになって楽しい。
マップづくり再開。
「いい流木が拾える場所を書くのはどう?」
ドライブの目的地にちょうどいい絶景スポットもたくさん書き込みました。
観光客だけじゃなくて、地元の人がこうやって来てくれるゲストハウスって珍しいんじゃないかな。のびのび日和の魅力になりそうですね。
1泊2日でしたが、淡路島へまた来たいと思える時間を過ごせました。
のびのび日和の皆さん、地元の皆さん、ありがとうございました!
のびのび日和Facebookページ。いいね!しておくとイベント情報などが受け取れます。
https://www.facebook.com/amanadaawaji/?ref=ts&fref=ts
宿泊のご予約はこちらから。
いや〜3日ぐらい借りて仕事仲間と合宿したいっすね。
あと僕の誕生日にシェアキッチン借りてパーティーしようと思ってるんですけど、のびのび日和でやらしてもらおうかな。キッチン3口コンロで使いやすそうだったし、泊まれるから朝まで語れるし。わざわざ淡路島まで来てくれるのは3人ぐらいだろうから運営もラクだし(笑)
↓ 誕生日パーティーの話はこちら↓
アーティスト意識と仕事意識
「お金がもらえるから」という理由だけではなく「自分がやりたいから」という理由で仕事をしている人には分かると思うのですが、自分でつくり出す仕事にはアーティストとしての側面と、ビジネス、仕事としての側面が混在していると思います。
アーティスト意識と仕事意識
アーティスト意識とは、
「誰も評価してくれなくても、自分がおもしろい!と思うものが良い作品」
というものだと思っていて、
仕事意識は、
「お客さんが評価してくれたものが良い作品」という考え方。
モノの最終的な価値を決める評価者が自分であるか人であるかの違いです。
アートがやりたいのか?仕事がしたいのか?
アートと仕事、どちらも必要な意識です。決めておくべきなのは自分がアートとしてやりたいのか、それとも仕事としてやりたいのかです。
例えば僕ならこのブログ。これを書いているのはアートなのか、人に「いいね!」と思ってもらいたいのか。
そもそも僕が文章を書き始めたのは自分の思考の整理のためでした。それを最初の起業をきっかけにブログで書くことにしたのです。なのでブログにしたばかりの頃は人に「自分のために書いてます」と言っていました。
しかし最近は、リアクションが気になってしょうがないですね。Facebookでいいね!が少なかったりコメントがもらえなかったりすると(´・ω・`)ってなります。
これはライターになったから変わった意識ではなくて、1度目の起業が失敗してニートになってフリーターになり、そこから「もう1回なんかやろう」と火が付いて、今までの自分の仕事への姿勢を反省した時に変わった部分です。
最初に起業した頃は、アーティスト意識が強かったんですよね。アーティスト意識9割の仕事意識は1割ぐらい。客なんてどうでもいいと思ってました。人のために自分を殺すなんて最悪で、大事なのは自分がその仕事を心からやりたいと思っているかどうか。そういう仕事でなければ起業した意味がない。しかし、そんなグラデーションの意識でやっていたらほとんど売れませんでしたので廃業になった訳です。
そこを振り返って、やはり強すぎるアーティスト意識がよくなかった。そもそも仕事はお客さんがいるから成立するものであるという意識、仕事意識を強く持つべきだったと反省しました。それで次に始める仕事は「顧客第一」の意識でやろうと決めたのです。
昔は顧客第一、お客さんのために仕事をするのだ!と言われると自己犠牲を求められている気がして嫌でした。だから僕は自分のために仕事をするのだと言っていました。でもお客さんのために仕事をするということは自己犠牲ではないことが分かったのです。
会社を辞めてまでやりたい仕事には想いがあると思います。
「目の前に苦しんでいる人がいる。でもこの人を助けるサービスは世の中にない。ならば自分がつくろう」的な想いが。
この場合、お客さんというのは「自分が笑顔にしたい人」です。気持ちの土台には自分のエゴがある。そういうお客さんのために仕事をすることは決して自己犠牲ではなくて、むしろ自分の想いを大事にすることである。顧客第一でも「自分のため」と「人のため」が共存できると気づいたのです。
まとめ
アーティストの意識と仕事としての意識、どちらも必要なのは間違いない。
考えるべきは自分のやっていることに関してどちらの方向でやっていきたいと思うのか?現在どういう意識のグラデーションでやっているのか?
そしてバランス。顧客に合わせられるところと絶対に譲れないアーティストな部分。それを明確にすること。なぜならそれがサービスの個性、理念になるから。
自分がやりたいだけの想いは理念や志とは言えなくて、自分の想いとお客さんである人への想い、社会に対してどういう貢献をするか。色んな角度から見てビシッと矛盾なく筋が通るのが本当の理念なんだろうなぁと思います。そういうことで僕も引き続き追求して参ります。
【自己紹介】人生が始まった15歳の原体験
はじめまして、起業家ニートライターです。
こちらの記事は、めでたく僕のブログに遭遇してくれた方への自己紹介記事です。
簡単に僕の経歴を説明すると、
1991年生まれ。都内の大学を卒業後、そのまま東京で就職。あまりにも組織の一員としての仕事が出来なかったので、会社辞めてひとりでやろう、と思い始めた直後、知り合いから地域活性化コンサルタントの仕事を紹介してもらい、それを最初の仕事として独立。地域活性化の仕事をする傍らで、興味のあった教育を仕事にしたいと思い、自分でセミナーを企画したり、学生&社会人へのキャリア相談を行っていました。教育事業は非常に充実した仕事でしたけど、まあお金にならず。もう一度修業のため教育系の企業へ就職も考えましたが、ノウハウを盗んで辞める気満々の生意気小僧を雇ってくれるはずもなく。次の当てがなくなり気力もなくなっていたので実家に戻り。実家でニートとフリーターを経て、2017年1月より京都に移住し、ライターとして活動しております。ちなみに、起業家ニートライターとは、僕の職歴をただ詰め込んだだけの名前です。
新卒で入った会社をすぐに辞め、ノリだけで起業をし失敗し、実家でニートまでやり。自分でも「なにやってんの?おまえ」という感じですが、こういう人生を歩むきっかけとなった強烈な原体験がありまして。今回はそれをご紹介させていただきます。
ーーー
僕が15歳、中学三年、高校受験が間近に迫った日の出来事でした。
舞台は通っていた中学校です。ちょうど私立の試験が終わって、公立の試験日に向けて勉強している頃。そんなある日のホームルームで、
先生「みんなもう卒業でしょ?だから今までお世話になった先生方にお礼の手紙を書きましょう」
あぁん?
ってなりました。感謝される側が自分から「世話になったんだから手紙書け」っておかしくね?
まあまあ、まあいいわ。気に食わないけど書いてやるわ。3年間の担任の先生と、あと2、3人分ぐらいだろ。
と思いきや、中学校にいる全ての先生、名前も知らない先生から給食のおばさんも全員文。校長、教頭、用務員、事務員…。全部で30人分以上の手紙を全員書けと。
あぁん!?ふざけんな!!
強烈な反抗の意志が生まれました。
最後の追い込みの時期に何をやらせるんだ。名前も知らないやつへの手紙なんて書けるわけがないだろ。書いたところで嘘の感謝を並べたどうでもいい文章になる。そんなもの書く意味はないし、お前らもそんなもんもらって嬉しいのか。
こんなことを思いました。思っただけで確か言ってはない。でも「俺は書かない」という宣言はしていました。クラスメイトも不満の声をあげていて(これはいけそうだ)と反乱に成功のきざしを感じた時、
「うるさい!!いいから黙って書け!」
先生一喝。見事反乱は鎮圧された。クラスメイトはぶつくさ言いながらも手紙を書き始めました。その光景を見て強烈に思ったんです。
「こうやって世の中ではおかしいことが普通になっていくのか」
おかしいと思うことでも、少し怒鳴られただけでおとなしく従ってしまう。理不尽なことがあっても何も感じない。気づいても主張しない。反抗してもすぐに諦める。そうやっておかしなことが世の中でまかり通っているんだなと。今この教室で起きていることが世界中で起きていて、でも誰もこの真実に気が付いていない。そのことに自分は気づいてしまった。
結局僕は最後まで手紙を書きませんでした。先生に「なぜ書かないの?」と問い詰められても僕は何も答えられませんでした。人生で初めて湧いた感情で苦しくて、それを少しでも言葉にした途端、涙を流してしまいそうだったからです。
この日から僕の人生は変わりました。先生も同級生も、親も友達も、誰も信用できなくなりました。この世界をつくっている一員で、でもその世界に対して疑問を感じていない、そういう人はすべて軽蔑の対象になりました。「お前らは何にも分かってない」と。
「自分で考えて、自分で決めて生きよう」
誰も信用できなくなった15歳の僕が選んだ生き方でした。
−−−−
以上、僕の原体験でございました。あの体験があるからこそ今の人生があります。そしてこれからの人生も。
この頃、自分が生まれて来た意味について考えています。僕はこの世界の一員としてどんな役割を果たせばいいのかと。
それを考えた時、一番に思い浮かぶのがこの原体験なのです。世の中に対して「あぁん?」と思う自分。世間から外れたところで「あぁん?」とやるようになった自分。
世界に疑問を投げかける存在、これは非常に貴重で重要な役割。
しかしほとんどの人とは問題意識を共有できないので、基本的に孤独でツラい。出来れば世間とは関わりたくないと思っていました。
でもあぁん?ってなる同士で世間を指差して「あいつら分かってねえよな」って言うだけなのは違う。世間から外れてしまった僕だけど、もう一度世の中に戻らないといけない。
ちゃんと自分の感じている違和感を提案にまで昇華する。そうやって「みんなは今こうやっているけども、それで本当に幸せかい?僕なりに新しいやり方を考えてみたんだけど、これどうかな?」って感じで。「あいつらくだらねえ」ってグズグズ言ってるだけじゃせっかくの「くだらねえ」って思う感性を活かせてない。世の中に対して疑問を感じる感性は、「あいつらバカだな」って言って自尊心を満たすためにもらったものじゃなくて、世の中をより良い方向に、社会にもっと幸せな人を増やすためにもらったもの。
本当に世界を変えるのは僕らみたいな人間だと思います。
「あぁん?」と思うことが多すぎて、我慢できずに試しに言ってみたら、怒られたり、無視されたり、どうかしてるって言われたり。
思いきって言ってみたら余計孤独になって、世界はなんにも変わらなくて。
こんなことなら生きていくの嫌だなって。いちいち「あぁん?」ってイライラするのも嫌だし、それが理解されないのも嫌だし。いっそ誰とも関わらず孤独にひっそり暮らしたいと思うけどそれも許されないし。自分が「あぁん?」って思うこと、絶対にやりたくないことでも無理矢理やらされる。そういうのが全部嫌すぎて「こんなことが続くのが人生なら、別に生きられなくたっていい」とまで思った。我慢して生きるよりいっそ死んだ方がマシ。
でも死ななかった。死にたいほどツラかったけど「この世界を俺が変えてやる」って立ち上がった。世界を変える人間になろう、そのために努力しようと15歳で決意した。
やべえ忘れてたよ。15歳の時にマジでそう思って決めたんだよ。もうおれの人生はあの時に決まっていたんだ。
ずっと「いつか見てろよ」って反骨心で生きて来た。でもそれだけじゃダメだって、起業して失敗して、ニートにまでなって気づいた。「おれが正しいんだから黙って従え」そういう姿勢じゃなにも変わらないって。
やっぱり、どれだけ「あぁん?」ってなっても僕らも世の中の一員なんだよね。外からどうこう言うんじゃなくて、世の中に入ってみんなと一緒に考えて行動していく。社会に対して自分が出来る最高の貢献をしていく。我慢じゃなくて自己犠牲でもなくて、自分の意志で「世の中に加わりたい」って思った。だから僕は実家で引きこもりをやめて、世の中に戻って来ました。
最近、Only order オンリーオーダーって言葉がハマってるんです。オンリーオーダー、たったひとつの注文。注文は天からの注文って意味で、つまり天から自分に与えられた唯一の役割のこと。それがオンリーオーダー。役割を使命、ミッション、天職と言い換えてもいい。やっぱり人はそういうのがあると信じたい。自分が生まれて来た意味ってのがあると信じたい。そしてそれに気づけた人の人生は幸せだと思うんだ。事実、僕は幸せだもん。10代はまあまあきつかったけど、でも「あぁん?」ってなってしまう自分を恨んだことは一度もない。いつだってどんな時だって「あぁん?」ってなる自分が好きだった。
オンリーオーダーは誰かに教えてもらうものじゃなくて、自分で追求するものだと思う。
それを求めて社会と関わって社会に映る自分を見つめていく。行動と内省を繰り返して、ひたすら自分を試行錯誤していくしかない。
その先で「おお、これか」と出会えるもの。それがオンリーオーダー。
そして、自らのオンリーオーダーを求めて生きているやつを集めたチームをつくりたい。
自分が人生で果たすべき役割、自分だけが実現できる世界、自分にしか出来ない仕事、自分だから笑顔に出来る人、そして自分の幸せな人生。
それを求めているやつらが自分にしかつくれない価値を持ち寄って、みんなの価値を僕がまとめてとんでもなく大きな価値にして、それでもって世界を変えていく。そんな仕事をするチーム。
やっぱりこれだなぁ、おれ。そんなチームをつくりたいね〜と、しみじみ思います。
オンリーオーダーに関しては、じゃあこれを会社にするとして「具体的にどんな事業をするのか」を考えないといけませぬ。正直ここに関してはしばらく考えつかないと思いますが。僕の原体験から出て来るビジョンはオンリーオーダー、そしてオンリーオーダーなチーム。ここまで。だってそいつらと一緒だったらなにをやってもおもしろそうだもん。
さて、本当は原体験だけ書いて終わりにするはずだったんですが、いま思っていることを全部書いてみました。オンリーオーダーはもう少し暖めておきたかったんですけどね。
ではでは!ここを始まりとして、これから新しく始まる予感がする僕の人生をこれからもお伝えさせていただきます!