飲食業界でいまだに炎上する「あ、水でいいです」問題について
飲食店業界でいまだに炎上する「あ、水でいいです」問題について - すすきの総合情報サイト[すすきのへ行こう]
たまたまこの記事を見つけ「そう、この話な!」ってなりました。
例えば焼き鳥屋さんなんかの居酒屋で、料理を注文する際に
店「お飲物いかがされますか?」客「あ、水でいいです。」
店「烏龍茶などのソフトドリンクもありますよ」
客「いえ!水で!(やや切れ気味)」
こういったやり取りが今全国の酒場で散見されているというのです。
これが「あ、水でいいです」問題だそうな。
僕はお酒が飲めるようになったのは社会人になってからなので、学生の頃、友達や先輩と居酒屋に行くときは、ごはんを食べ行くつもりで行ってました。そういう時に「お飲み物は?」って言われて返答に困まってましたね。
(本当は水でいいんだけど、それってアリなのか?別にいらないドリンクを頼むくらいならそのお金でチャンジャを食べたいんだが)みたいな。
ドラマ「孤独のグルメ」が好きでよく見ていました。主人公が仕事で訪れた町々でピンと来たごはん屋さんを訪問する。という趣旨の番組です。
主人公は下戸なので、居酒屋的な店に入る時もお酒は頼まずにウーロン茶を注文します。焼肉屋で「お飲み物は?」と尋ねられた時も「あ、水でいいです」とは言わずにウーロン茶を頼んでいました。
作中でそういったマナーについて語られることはなかったのですが、それを見ていて(そういうものなのか)と思うようになりました。
最近では日本酒が美味しく飲めるようになったこともあり、いい感じの居酒屋を見つけたらちゃんとお酒を飲むつもりで行きます。
でもこの記事のように、
酒場や喫茶店での最低限の心得
・居酒屋や喫茶店では最低限1杯ドリンクを注文する。
居酒屋や喫茶店は、利益構造自体がドリンク側にある場合が多いです。名言がなくてもドリンクをオーダーしてあげましょう。
・オーダー数に見合わない長居をしない
これは特に居酒屋なんかの話ですが、1ドリンク1フードで2時間も3時間も長居する人がいます。もし自分みたいなお客さんばっかりだったらお店が成り立つか?想像してみて下さい。
・混んで来たら席を空ける
出来れば長居は避けたいけど、居心地よいとついつい長居しちゃう時もあります。混んで来たら席を空けることで、お店側の機会損失の原因とならないことが最低限のマナーです。(ラーメン屋なんかの回転命なフード中心のお店の場合は言わずもがなです。食ったらとっとと退席しましょう。)
ルールやマナーを守って、あなたの好きなお店を、そして街を応援して行きましょう。
最低限の心得(ドヤ)
なーんて書き方をされちゃうと「あぁん?」となる訳です。特にこれ。
これは特に居酒屋なんかの話ですが、1ドリンク1フードで2時間も3時間も長居する人がいます。もし自分みたいなお客さんばっかりだったらお店が成り立つか?想像してみて下さい。
想像してみてください(キリッ)
うるせえっつうの。お店の経営にまで気を使わなきゃいけないんだったら家でメシ食うわ。
そういう人が居ても経営が成り立つよう居酒屋には「お通し」っていうシステムがあるんじゃないですかね。そもそも僕はお通しに納得してないですけど。だってお客が頼んでないものを勝手に出してきてお金を取る訳ですよ。ちょっとのきんぴらごぼうで300円とかただのぼったくり。こっちはそれを甘んじて受け入れているのに、さらに最低限の心得なんて言われた日にゃあね、たまったもんじゃあないよ。語尾が江戸っ子にもなるわけだあこりゃあ。
どう思います?「あ、水でいいです」問題。
就活は1社目を辞めてからが本番
デジモンOP『Butter–Fly』を作詞作曲した千綿偉功はもっと評価されるべき
デジモンアドベンチャーOP『Butter–Fly』
カラオケランキングで上位にランクインする人気曲です。デジモンファンの僕はもちろん大好き。
デジモンソングということを抜きにしても本当に素晴らしい曲で、歌い手の和田光司さんはちゃんと褒められています。
Youtubeの『Butter–Fly』へのコメントを見ると「和田光司最高!!」的なコメントがあります。
しかし「千綿偉功最高!!」というコメントは見たことがないので、僕が紹介しようと思いました。
千綿偉功とは?
『Butter–Fly』の作詞、作曲をしたのが千綿偉功なのです!
つまり『Butter–Fly』の生みの親、それが千綿偉功。
携わった有名な曲はこちら。
デジモンアドベンチャー主題歌『Butter–Fly』作詞、作曲
デジモンアドベンチャー02挿入歌『僕は僕だって』作曲
デジモンフロンティアED『イノセント〜無邪気なままで〜』作曲
金色のガッシュベルOP『カサブタ』
カサブタは作詞、作曲、歌手も千綿偉功!
表に出る歌い手が注目されがちですけど、作詞家、作曲家もぜひ注目してみてください!
最近自覚した作り手への敬意。文章でも音楽でも、なにかをつくるということはそこに人の意志と人生が詰まっていて、それに対する評価は「いいね!」しかないと思う。
つくられたものに対して、批評ではなくただの悪口を言う人は(自分で何もつくったことがない人なんだな)と思うようになりました。
「変わってるね」と言われて嬉しがるのは凡人
人に「変わってるね」と言われて嬉しがるのは普通の人だと思います。変人に憧れているだけの凡人。他人から見て本当に変わってる人は他の人と違うからこそ苦労してるはず。変わり者で生きることの苦労を知っているはず。だからこそ「変わってるね」と言われても嬉しくない。
僕は「変わってるね」って言われても喜べない。「私には理解出来ません」って言われてるのと同じ。ものすごい孤独になる。最近は自分が世間的には変わり者だということを受け入れたので「変わってるね」 って言われても「まあ、そうですね(笑)」って笑って言えるけど。
「個性があっていいじゃん」って思うかもしれないけど、自分の変わりようを社会で認められる「お金になる個性」へ昇華させるまでが修羅の道。変わり者そのままの個性を出していったら怒られる。でも個性を隠して生きたら個性を磨くことが出来ない。だから自分をさらけ出しながら、そしてその自分を否定され続けながら生きていかないといけない。さらけ出していく中で「君のそういうとこ、おもしろいねえ」と評価されたところだけが社会で認められる個性で、そこだけを抽出して自分の個性としていく。つうわけで前半戦マジ地獄。後半戦はたぶんラクになるけど、前半戦でだいだいみんな死ぬ。
僕とか本当に働けない子ですからね。新卒で入った会社は5ヶ月しかいなかったけど「新人でダントツに使えないやつ」って評価から抜けられなかったし。最近バイトを普通に仕事出来なくてクビになったし。本当に起業するかニートになるしかない。たまたま人と関わるのが好きで行動力があるから家に閉じこもってないだけで、気を抜いていたらちゃんとニートになる。
ついでに、個人事業主をノマドワーカーとかフリーランスとか横文字にしてカッコいい感じにする最近の風潮マジ違和感。ノマドワーカーもフリーランスも社会不適合者のなれの果てだっつうの。 別にカッコいいもんでも誇るもんでもない。それでしか生きられないだけです。
変わってて良い事なんて特にない。変わり者で良かったと思えるのは努力の証。自分の個性を社会で認められるレベルまで磨いたってことだから。人と違うことはそのまま生きづらさにつながる。みんなが出来ることが出来ない。楽しんでいるものを楽しめない。分かりやすい才能なら欲しいけど、ハンパな個性だったらない方がいい。単に人生の難易度が上がるだけだ。普通がいちばん。
「引きこもり」を再定義する
引きこもり。もうこの単語も普通に意味が通じるようになって来ましたね。でもそれぞれが抱いている引きこもりのイメージには違いがあると思います。引きこもり、という言葉がなにかを表現する際により使いやすいよう、元引きこもりとして引きこもりについて最近考えたことを書いていきます。
「空間的引きこもり」と「人間的引きこもり」
引きこもりには「空間的引きこもり」と「人間的引きこもり」がいると思います。
僕は人間的引きこもりです。「人に会えるゲージ」みたいなやつが僕にはついていて、例え仲の良い友達でも一緒にいる間は減っていく。ゲージが少なくなると、気を使うのが難しくなって人への対応が雑になる。自分の家に遊びに来てくれている友達にも「早く帰れ」って思います。別にコミュ障ではないけれど、でも他人と一緒にいる時間が長すぎるとテンションが下がる。それが人間的引きこもり。
空間的引きこもりは、自分の部屋から出なくても息苦しくならない、お外に出るのが苦痛なタイプ。僕は空間的引きこもりではないので、すみませんが説明はざっくりで。
一般に使われている「引きこもり」は空間的引きこもりと人間的引きこもりを一緒くたにして使われている気がします。あと引きこもり=ニート、みたいな印象も受けます。
僕は人間的引きこもりですが、空間的引きこもりではないです。なので人に会いたくないために家にいる時でも、だいたい夜には空間的にツラくなって買い物や散歩に出かけます。
ルームシェアをしていた頃の友達は、空間的引きこもりなので休日は基本ずっと家に居ました。でも人間的引きこもりではないので、電話で友達と話したり、LINEやFacebook、Twitterでひたすら人に絡んでいました。
僕は大学卒業後、4月から8月末まで5ヶ月間会社にいたのですが、精神的にずっとツラくて、休みの日は誰とも会わずどこにも行かず、ずっと家に引きこもっていました。
この現象を「会社で働くことが向いてない」と説明していたのですが、もしかしたら人に会いすぎて疲れていただけかもしれないですね。基本的に会社にいる間は誰かしらと一緒にいるじゃないですか。なのでどんどんゲージが減っていく。僕のゲージは、週5日の勤務に対して休みが2日では回復が間に合わない。だから僕はずっと調子が悪かった。仕事終わりに会社の人と飲みに行くのも、一緒にランチをしに行くのも嫌でしたから。でも別に会社の人が嫌いだった訳ではなくて、単純にひとりの時間が欲しかっただけ。人に会えるゲージを回復させる時間が欲しかっただけだったのではないかと今は思っています。
人間的引きこもりの新社会人へ
仕事はそこまでキツくないはずなのに、土日全く家から出れない。という新社会人は単に人疲れかもしれません。人に会えるゲージが普通の人よりちょっと少ないだけ。でもそんな人は働き方を考える必要があると思います。
僕はライター、文章を書くのが仕事なので、仕事時間の半分以上はひとりで過ごしています。これなら人間的引きこもりの僕でも大丈夫。仕事の受注はリアルでしか受けないので営業や打ち合わせもありますが、多くても1日に1件3時間ぐらい。これぐらいなら無理がない。
あと最近、電車や車で人と一緒に移動している際に「一旦失礼します」と断って、イヤホンで音楽を聴くというゲージ回復方法を実践しています。だいたい5曲も聴けば回復して人と話したくなるので、イヤホンを外して「ただいま」と言います。めっちゃ効果あるのでオススメです。特に友達との旅行中とか。「早く家に帰りたい」とか思わず旅行を楽しめると思います。
周りを見ると、人と丁寧に接する方ほど休日は人間的引きこもりが多いようです。気を使う分ゲージの減りが早いのでしょう。
僕も色々気にし過ぎる性質です。これは迷惑じゃないかな?不快に思われないかな?と考え過ぎてなんにも出来なくなります。そして疲れます。
これでは生きるのが大変なので、歳を取るごとに雑になって来ています。成長です。
(◯◯さんに会いたいけど、いきなり連絡して迷惑じゃないかな?忙しいだろうしなぁ。。って気にしすぎー。とりあえずメールしたらええねん。そら送信)みたいな。
人間的引きこもりの同志諸君。休日にバーベキューをするような活動的なリア充社会人にペースを乱されることなく、僕たちの日々をゆるやかに過ごしていきましょう。