起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

人に仕事を与え、人を育てるオトコになりたい

最近思うことをまとめてゆくぞ。どこにたどり着くか分からないけどレッツゴー!

なんすかね。最近なに考えてますワタシ?
…。よし!


最近の活動
自分がやっている活動が大きく3つに分けられました。ライターと教育と事業づくりです。ライターは説明不要として。

教育は4月から大学で講師してます。1年生に文章の書き方とプレゼンテーションについて教えています。あと個人的に大学生を集めてキャリアに関する授業をお試しでやってます。

4年目に突入した社会人生活を振り返ると、1番取り組んで来たのは教育の分野だったり。正面切って教育をやるとお金にならないので、大学生への就活支援、若手社会人への転職支援というところで落ち着かせてました。会社を辞めて最初に自分で始めた仕事がそれです。結局、事業化しきれなくてやめてしまうのですが。

実家住みフリーターを卒業して2回目の起業に挑戦しようと考えていた時、自分に課したルールの1つに「ライターとしてきちんと稼げるようになるまでは教育に手を出さない」と決めていました。1回目の起業は「教育を仕事にしようとして失敗した」と思っていたからです。でも結局手を出している始末。。
大学で講師をやって改めて思います。人の成長を側で見るのって楽しいね。人の個性や才能に触れると感動するね。生徒はみんなかわいいね。ということで教育を封印するのは無理。

新しい方針
なので新しく方針を加えました。自分の活動を、
1、 趣味でやっているのか
2、 お金のためにやっているのか
で分けてみました。そうすると非常にスッキリしましてね、とても気に入っているのです。

ライター…これは趣味とお金が半分半分です。お金がもらえるからやる仕事もあるし、お金がもらえなくてもやりたい仕事もあります。

教育…100%趣味です。お金がもらえなくてもやりたいですね。別に仕事じゃないからと手を抜く訳ではないです。むしろ1番こだわって真剣にやっています。
モチベーションがどこにあるかという話です。本当に生徒のためになる教育が出来れば報酬はいらないし、お金がたくさんもらえても「それって生徒のためになってないじゃん」というものは嫌です。やると心が死にます。

 

お気づきになられたと思いますが、以上2つの活動だけでは充分な金銭報酬が得られないのです!ということで大事になるのが3番目の活動、事業ちゃんです。

事業…100%カネ。お金を稼ぐためにやります。お金がもらえるということは、人に求められているということです。お客さんに感謝してもらえるということです。なのでお金が稼げる事業は素晴らしいものなのです。

「お金を稼ぐだけの仕事なんてつまらない」とぬかしてた昔のおれよ、くたばれ。きちんとカネを稼げる仕事をつくれるまでお前に発言権はないのだ。

そしてこの活動は僕が代表で人を巻き込んでやっているので責任があります。別に僕はやりがいだけでいいけども、人にはきちんとお金を払わなければ。

 

あと最近の価値観では「仕事とお金を与える人かっけー」と思います。1番の趣味の教育ともリンクするんですよ。いい仕事は人を成長させると思います。僕もたくさんの人に仕事をもらってここまで大きくなりました。なので僕も、人に仕事を与え、人を育てるオトコになりとうごわす。そして適切な報酬を払いとうごわす。急に騒ぐ九州男児の血(祖父が鹿児島出身)


まとめ
社会人になって初めて「カネ稼がないと!」と思いました。いい仕事をしたければ軍資金としてのお金を稼がないとね。人と一緒に仕事をしたければ給料を払わないとね。人に給料を払えるのが大人のオトコだね。自分のお金はどうでもいいと思っちゃうけど、人に払うためならお金を稼ごうとがんばれるね。僕に1番足りなかったのは「お金を稼ぐ」という意識だったんじゃないかと思っています。

 

仕事において「やりたいこと」はどうでもいい

最近思っていることを今の段階の理解でまとめようと思います。もっとちゃんと書けるようになってからブログにしようと思っていたけど、そんなんカッコつけすぎ。途中は途中のおもしろさがあるから、それでいいのです。

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こないだ仕事関係の先輩がこんな話をしてくれました。
「自分がお金をもらう側として、どうしたらお金がもらえるかだけを考えている内は、お金や仕事に対する姿勢に限界がある。自分がお金を払う側、人を雇う人間になって初めて広がる視野と深まる思考がある」

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僕は最近、「おれのやりたいことなんてどうでもいい」と思っています。そこに至ったのは、人を誘って一緒に仕事をすることに挑戦し始めたからです。

メンバーは僕ともう2人。3人の中に上下はないけれど、「一緒になんかやりましょう」と誘った言い出しっぺは僕だし、仕事としての役割的にも代表は僕です。だから僕は2人に給料を払わないといけない。2人のためにもお金を稼がないといけない。

僕が26歳で、2人は29歳と33歳。年齢的にも無邪気に夢を追っている場合じゃない。「失敗してもいい。将来成功するための成長の時間だ」そんな悠長なことは言ってられない。

こうなると自分勝手なやりたいことはどうでもよくなる。優先順位が変わる。自分だけの野望よりも、自分がもらう分と人に払う分のお金を稼ぐ方が大事になる。お金を稼ぐとは、他者に価値を与えること。困っている人の力になること。依頼に応えること。いい仕事をすること。事業としてきちんとお金が回ること。本当に人のためになることをする。そういうことに価値を感じるようになりました。

 

というわけで、とにかくお金を稼ぐ。事業として成立させることを目標に活動しています。すでにある需要に手堅くアタックしていくスタイルで、いま取り組んでいるのが地域活性の分野です。たくさんある課題に対して、それを解決しようとしている人が少ない。需要に対して供給が追いついてないと思うので。大学の頃は地域政策学専攻で、起業して最初にやった仕事は地域活性のコンサルだったりと下地もありますし。

 

「仕事はやりたいことをやるのが1番」と言っていた頃が懐かしい。2年前、会社辞めてすぐの時期。別にあれも姿勢としては間違ってはいない。重要なのは採用するタイミング、順序、自分の状況。やりたいことを思いっきりやった結果、現在の「やりたいことなんてどうでもいい」という思想に辿り着く。やりたいorやりたくないの価値基準で動いてからじゃないと、その価値基準のしょーもなさには気付けない。

 

【ほのぼのエッセイ】僕の人生のピークは幼稚園でした

   僕の人生のピークは幼稚園の頃でした。

   同い年の子たちと比べて体が2周りは大きかったので、フィジカル面で圧倒的な優位を誇っていたのです。通っていた幼稚園は給食ではなくお弁当だったのですが、僕が必要とする栄養を詰められるお弁当箱が大き過ぎて幼稚園指定の黄色いカバンに入らず、お弁当専用のバックを持って行くくらいでした。なのでやんちゃな子にイジメられることもなく、自分の仕事(遊び)に没頭できた充実した毎日でした。

 

    同じクラスにKくんという子がいました。Kくんはまあ暴れん坊で、工作で使う素材として教室に置いてあったサランラップの芯を武器に、お友達の頭をポカンポカンやっていました。トイレットペーパーの芯ではなくてラップの芯です。めちゃくちゃ固いやつ。あれで頭をぶん殴られたら大人だって痛い。だからKくんが1発ポカンとすれば、お友達はうわーんと泣いてしまう。ポカン。うわーん。ポカン。うわーん。そうやって彼はラップの芯1本でクラスの頂点に登り詰めました。

 そしてある日、ついにKくんが僕に向かってきたのです。ささいなことでけんかになり、愛刀のラップの芯で僕の頭をポカン。「いってえな!」僕はそのままラップの芯を奪い取り、Kくんの頭をポカンポカンポカン。徹底的に叩きのめしました。

 

   なんだかんだそれをきっかけに仲良くなり、僕とKくんは一緒に遊ぶようになりました。2人で危ない遊びばかりしていましたね。というより、危ない遊びに耐えられる腹の据わったお友達が園内にお互いしかいなかったのです。ヌルい遊びに飽きたときは「おい行くぞ」と誘い合っていました。危ない遊びというのはもちろん、痛みを伴うリスクがあるということです。

   例えば、僕らのいた幼稚園は2階建てで、中の階段とは別に2階のベランダから1階に降りる非常用のすべり台がありました。そのすべり台がつるつるした石材で出来ていて、よくすべっておもしろい。なのでよく園児たちが遊んでいたのですが、あくまで非常用ということで2階からの降り口がロープで封鎖されてしまったのです。しかし、それでもすべりたい遊びに熱心なお友達は、すべり台の出口の方から逆さに登ってすべって遊んでいました。しかし、まあすべる。おまけに勾配が急。なので下から上がろうとして、すべって思いっきりあごを石材に打ち付ける事故が多発し、お友達はみな脱落していきました。最後まで懲りなかったのが僕とKくんなわけです。そうやってすべり台を楽しんでいる僕らを見て、たまに痛みを忘れた無謀なお友達がやって来る。そしてすべってあごを打って泣く。

Kくん「おいおい泣くんじゃねえよ。泣いたら先生が来ちゃ、ほーら来ちゃったよ」そして救護と共に検挙。幼稚園の先生は救急隊であり、僕たちにとっては警察官でもありました。

 

   一番思い出深い遊びは、大きな積み木遊びですね。ひとつの積み木が腕をめいっぱい回して、やっと持ち上げられるくらいの大きさ&重さでした。体の大きい僕でさえも大変でしたから他の子は誰も遊べない。だから2階の体育館の隅に放置されていました。そんな積み木がたくさんあって、ちゃんとつくると大きな城が完成するほどでした。大人になった今思い返しても、非常に楽しそうです。

 Kくんと2人でピラミッドを建設する奴隷のごとくせっせと積み木を運ぶのですが、とにかく重たいし中には三角形のものもある。三角形の重たいものを持てばそりゃ安定しないわけで、頻繁に足に落とします。

僕「いっ!!」

Kくん「どうした?」

僕「…ん、なんでもない」

積み木を何個も運べる腕力と、足を腫らしても平然としている根性。まさに僕たちにしか許されない遊びでした。

飲食業界でいまだに炎上する「あ、水でいいです」問題について

飲食店業界でいまだに炎上する「あ、水でいいです」問題について - すすきの総合情報サイト[すすきのへ行こう]

 たまたまこの記事を見つけ「そう、この話な!」ってなりました。

 

例えば焼き鳥屋さんなんかの居酒屋で、料理を注文する際に
 
店「お飲物いかがされますか?」

客「あ、水でいいです。」

店「烏龍茶などのソフトドリンクもありますよ」

客「いえ!水で!(やや切れ気味)」
 
こういったやり取りが今全国の酒場で散見されているというのです。

 

 

これが「あ、水でいいです」問題だそうな。

僕はお酒が飲めるようになったのは社会人になってからなので、学生の頃、友達や先輩と居酒屋に行くときは、ごはんを食べ行くつもりで行ってました。そういう時に「お飲み物は?」って言われて返答に困まってましたね。

(本当は水でいいんだけど、それってアリなのか?別にいらないドリンクを頼むくらいならそのお金でチャンジャを食べたいんだが)みたいな。

 

ドラマ「孤独のグルメ」が好きでよく見ていました。主人公が仕事で訪れた町々でピンと来たごはん屋さんを訪問する。という趣旨の番組です。

主人公は下戸なので、居酒屋的な店に入る時もお酒は頼まずにウーロン茶を注文します。焼肉屋で「お飲み物は?」と尋ねられた時も「あ、水でいいです」とは言わずにウーロン茶を頼んでいました。

作中でそういったマナーについて語られることはなかったのですが、それを見ていて(そういうものなのか)と思うようになりました。

 

最近では日本酒が美味しく飲めるようになったこともあり、いい感じの居酒屋を見つけたらちゃんとお酒を飲むつもりで行きます。

でもこの記事のように、

酒場や喫茶店での最低限の心得

・居酒屋や喫茶店では最低限1杯ドリンクを注文する。

居酒屋や喫茶店は、利益構造自体がドリンク側にある場合が多いです。名言がなくてもドリンクをオーダーしてあげましょう。

・オーダー数に見合わない長居をしない

これは特に居酒屋なんかの話ですが、1ドリンク1フードで2時間も3時間も長居する人がいます。もし自分みたいなお客さんばっかりだったらお店が成り立つか?想像してみて下さい。

・混んで来たら席を空ける

出来れば長居は避けたいけど、居心地よいとついつい長居しちゃう時もあります。混んで来たら席を空けることで、お店側の機会損失の原因とならないことが最低限のマナーです。(ラーメン屋なんかの回転命なフード中心のお店の場合は言わずもがなです。食ったらとっとと退席しましょう。)

ルールやマナーを守って、あなたの好きなお店を、そして街を応援して行きましょう。

 

最低限の心得(ドヤ)

なーんて書き方をされちゃうと「あぁん?」となる訳です。特にこれ。

 

これは特に居酒屋なんかの話ですが、1ドリンク1フードで2時間も3時間も長居する人がいます。もし自分みたいなお客さんばっかりだったらお店が成り立つか?想像してみて下さい。

 

想像してみてください(キリッ)

うるせえっつうの。お店の経営にまで気を使わなきゃいけないんだったら家でメシ食うわ。

そういう人が居ても経営が成り立つよう居酒屋には「お通し」っていうシステムがあるんじゃないですかね。そもそも僕はお通しに納得してないですけど。だってお客が頼んでないものを勝手に出してきてお金を取る訳ですよ。ちょっとのきんぴらごぼうで300円とかただのぼったくり。こっちはそれを甘んじて受け入れているのに、さらに最低限の心得なんて言われた日にゃあね、たまったもんじゃあないよ。語尾が江戸っ子にもなるわけだあこりゃあ。

 

どう思います?「あ、水でいいです」問題。

 

 

 

 

就活は1社目を辞めてからが本番

5月。初夏ですな。ゴールデンウィークも終焉。
 
新しい年が始まり、街や仕事先で新社会人を見かけることが多くなって来ました。
 
僕は京都でライターをやる前に、東京で大学生への就職支援、社会人への転職支援の仕事をしておりました。その経験から思うのが、
 
就活は1社目を辞めてからが本番
学生の時にやる就職活動では、自分がやりたい仕事、向いている仕事、企業の見方、企業を選ぶ基準が学生に見える範囲でしか分からない。
それが就職をしてみるとグンと広がる。自己分析が進んで、やりたい仕事も明確になるし、企業のどこを見て判断すればいいのかもより分かる。
 
ということで就活は1社目を辞めてからが本番だと思います。
 
 
例えば、僕は1社目を5ヶ月で辞めたのですが、5ヶ月で理解したことと言えば、
・自分は仕事が出来る方かと思っていたらクソ使えないやつだった。
企画力、行動力には自信があったが、会社の中でそれが発揮出来るポジションに進めるのは日々のルーチンワークを完璧にこなせるようになってから。しかしルーチンワークが予想以上に出来ず死亡。
 
・月の残業が40時間でめちゃくちゃ働いた気がする。
1番忙しかった月の残業時間が40時間でした。僕としてはこれが限界だが、世間的にはまだいい方なんでしょうね。ひえー。
 
・土日休みより水土休み、みたいな方がいい。
研修期間の部署異動のため、土日休みと水土休みのような平日と土日で1日ずつ休むパターンを両方経験しましたが、圧倒的に後者。土日の連休は嬉しいが、その後の5連勤が耐えられない。
 
・教育やりたい
就職活動が終わった後、自分が4年間で得たものを後輩に伝えたいと思い、大学4年の10月に教育サークルを立ち上げました。この活動がおもしろすぎて人の成長に携わることに目覚めました。が、就職活動をしていた頃には全く考えていなかったので、内定先は一切教育関係なし。人材系の企業に行けば良かった。
 
などなど。
 
 
あなたにとって「ブラック企業」とは
転職先を考える時に「ブラックは嫌です」ではなく、あなたにとって何がブラック企業なのか具体的にするべし。残業代が出なければブラックか。毎日終電帰りならブラックか。上司が怒鳴り散らす人ならブラックか。1社目の経験から絶対に譲れないところ。そして譲れるところを明確に。
前職の経験で月の残業40時間以内がいい。その分給料は普通でいい。一緒に働く人が大事。仕事はたいしてやりがいがなくてもいい。僕なら会社の宴会で新人に余興をやらせる会社はクソブラック。余興の準備が業務時間以内ならまあ勘弁してやるが、業務時間外にやらせるのは絶対に許さん!とかね。
 
「最低3年勤めろ」という出典不明の言説
どうせ辞めるのなら早い方がいい。「最低3年勤めろ」というのが広まってるけど、誰がどういう理由でいい始めたのか。個人的に、3年ってめっちゃ長くね?しかも22歳から25歳の1番成長出来る3年間。そこをただ我慢で過ごして何が得られるのか。
 
新人として扱ってくれる年齢まで、25歳以下かな。第二新卒の範囲。それまでは自分のキャリアで色々遊んでもいいのではと思う。
 
半端に長く居てキャリアを築いてしまうとその業界、業種から抜けられない。もう新人とは扱ってくれなくて、前職の経験が活かせる職にしかつけない。うんざりだと思ってやめた仕事を、結局また別の会社でやることになる。
 
かと言って早く辞めすぎても良くない。入って1ヶ月とかで辞めると、仕事も会社のこともよく分からない。出来るだけ次の就活に繋がる判断材料を集めてから辞めるべき。
 
理想の会社はない
仕事内容、労働条件、人間関係、すべて満足する会社はない。会社が100%満足する人材がいないのと同じように。我慢や諦めも大事。他人がつくった会社、言わば人の家で思いっきりくつろげる訳がない。そりゃ気も使うし、我慢もしないといけない。
 
 
ということでした。就活は1社目を辞めてからが本番。
新社会人の皆さん。どうかお身体に気をつけて、毎日をお過ごしください。