起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

たいていの人間はカスなので人の話は聞いちゃダメ

たいていの人間はカスなので人の話は聞いちゃダメ。これが僕の基本の思想です。

引きこもりニートを経て丸くなった最近は逆に「もらったアドバイスには絶対服従」ですが、人の話を聞かない期間を経てこその姿勢です。

最近は別にこんなことをわざわざ言う気もないけれど、でもこれから人生を始めようとしている学生にはしておきたい話です。ってことで書いておきます。

 

たいていの人間はカスなので人の話は聞いちゃダメ

もしあなたが自分の人生を歩もうと決意したのなら、まずは人の話を聞くのをやめましょう。なぜならほとんどの人が自分の人生を歩もうなんて思って生きてないからです。これといった信念なく流されるままにぼーっと生きてる。親も先生もそう。だからなんの参考にもならない。というわけで、そんな大人に何を言われようと「そっすかー」と鼻ほじってればいい。まともに聞くだけ損。人の話なんて聞いちゃダメ。

 

自分の信念をつくっていく

これからは「親(先生)に言われたから」「みんなやってるから」で自分の行動を決めるのではなく、理由を自分で考えて行動していきましょう。もし学校へ行く理由が分からなかったらきちんとサボりましょう。考えたことを行動に移すのです。もちろん後で怒られますが、もちろんシカトです。なぜなら、親も先生も学校へ行く理由を自分の言葉で言えないからです。学校へ行くのが当たり前だと思っているから「学校へ行け!」と言うだけ。常識というのは、誰かが考えたことにみんなが流されていくうちに当たり前になったものです。つまり多くの人の当たり前や常識には理由がない。みんながやってるからやってるだけです。ただの思考停止。

自分で考えて自分の常識、信念をつくっていく。そしてそれを行動に移す。まずはこれを出来るようになりましょう。考えるだけではなく行動までするとあちこちから怒られますが、それが普通です。自分の人生を歩むのならこの先ずっと続きますので慣れてください。みんなは考えてもないし行動もしないので、それをやってしまうあなたにびっくりしてしまうのでしょう。

 

人の話を聞くタイミング

自分で考えて行動していく。自分の想いを言葉で、行動で示していく。

そういう生き方を続けていると、いつしか周りに同じような人しかいなくなります。何も考えずにぼーっと生きている人はあなたの人生から消え去ります。自分の周りを見渡して、バカばっかりだと思っていた大人が、尊敬できる大人ばかりになった時が人の話を聞くタイミングです。自分で考えて行動していく生き方をあなたよりずっと長くしてきた人たちです。きっとあなたのためになるアドバイスをくれることと思います。素直に聞きましょう。

 

まとめ

人の話を聞くには、自分を確立してからってことです。まず他人の言葉に簡単に流されない自分を育てる。ほとんどの人はロクな話をしないので、その人たちの話を素直に聞いていたらロクでもない人生になってしまう。なので人の話を聞いてはいけない。

自分の主張がはっきりしだすと、それに共感してくれる人が集まってくる。生き方について共感できる人であればきっといい話をしてくれる。そういう話は耳を傾ければいい。

僕の10代は(いっそ出家したい)と思うほど周りの人にイライラしてばかりでしたが、今ではすっかり心が平穏です。おかげで丸くなりました。10年間コツコツ自分で考えて行動してきた結果です。

自分の人生を本気で生きようと思った時、大変なのは一番最初。なぜならみんなそうじゃないから。だから人の話は聞いちゃいけない。本気で生きてない人間の話に価値はない。でもいつか必ず本気で生きている人と出会えます。それまではバリバリに尖って、自分を育てていってください。決して人の話は聞かぬよう。それぐらいでちょうどいいです。

 

 

 

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10年経った今、やっと胸を張って言えること。

僕はとにかく考えこむ人間です。自分の中で納得出来ないと動けない人間です。高校3年の時、「なんでおれは朝の9時から世界史の授業を受けなければならないのか?」と怒りの疑問が生まれていたのをよく思い出します。

 

こんな風になったのは(世の中って理不尽なんだなー)と知った15歳の時からです。自分もなんとなくでダサい方へ流されてしまわないよう、問題意識を持ち、しっかり考えて生きようと決めました。

 

それでも最初の数年は、(こんなごちゃごちゃ考えないで生きる方が幸せなんじゃないか?)と頭がハッピーで楽しそうな同級生を見るたびに感じていました。こんな自分じゃなかったらいいのにと。

 

あれから10年。今やっと胸を張って言える。それでいいのだと。誰にも分かってもらえないと拗ねてイラついてばかりいた15歳の自分に、もし会いに行けるのなら言ってやりたい。「お前はそれでいい」のだと。

 

確かにあと5年はツラい。高2なんて学校にいるだけで気分が悪くなって1週間に1日はサボらないとやっていけないほどだ。

でも、お前はそれでいい。お前の個性も、信念も、感動も、友達も、仲間も、人生を賭けてやりたいことも、全部そこから生まれたものだ。お前が今感じているように、まさしく、ここからお前の人生が始まるのだ。だから、お前はそれでいい。

 

ーー

 

これを先週、東京へ向かう夜行バスの中で考えていて、暗い車内でグシュグシュ泣いてました。

 

まあとにかく、みんな人に認められたいじゃないですか。褒めて欲しいじゃないですか。それ故にバカなことをするじゃないですか。

自分で自分を認める。信念にも傷付いてコンプレックスにもなっている過去の自分を、「よくやってたよな、あの頃のおれ」と心から言うことが出来れば、あの時に認めてもらえなかった自分を認めてあげることが出来る。色んな過去の体験に対してそれが出来れば、コンプレックスを解消し、純粋な信念だけを抽出することが可能なんじゃないかと。そんなことを最近は思うわけです。

人に仕事を与え、人を育てるオトコになりたい

最近思うことをまとめてゆくぞ。どこにたどり着くか分からないけどレッツゴー!

なんすかね。最近なに考えてますワタシ?
…。よし!


最近の活動
自分がやっている活動が大きく3つに分けられました。ライターと教育と事業づくりです。ライターは説明不要として。

教育は4月から大学で講師してます。1年生に文章の書き方とプレゼンテーションについて教えています。あと個人的に大学生を集めてキャリアに関する授業をお試しでやってます。

4年目に突入した社会人生活を振り返ると、1番取り組んで来たのは教育の分野だったり。正面切って教育をやるとお金にならないので、大学生への就活支援、若手社会人への転職支援というところで落ち着かせてました。会社を辞めて最初に自分で始めた仕事がそれです。結局、事業化しきれなくてやめてしまうのですが。

実家住みフリーターを卒業して2回目の起業に挑戦しようと考えていた時、自分に課したルールの1つに「ライターとしてきちんと稼げるようになるまでは教育に手を出さない」と決めていました。1回目の起業は「教育を仕事にしようとして失敗した」と思っていたからです。でも結局手を出している始末。。
大学で講師をやって改めて思います。人の成長を側で見るのって楽しいね。人の個性や才能に触れると感動するね。生徒はみんなかわいいね。ということで教育を封印するのは無理。

新しい方針
なので新しく方針を加えました。自分の活動を、
1、 趣味でやっているのか
2、 お金のためにやっているのか
で分けてみました。そうすると非常にスッキリしましてね、とても気に入っているのです。

ライター…これは趣味とお金が半分半分です。お金がもらえるからやる仕事もあるし、お金がもらえなくてもやりたい仕事もあります。

教育…100%趣味です。お金がもらえなくてもやりたいですね。別に仕事じゃないからと手を抜く訳ではないです。むしろ1番こだわって真剣にやっています。
モチベーションがどこにあるかという話です。本当に生徒のためになる教育が出来れば報酬はいらないし、お金がたくさんもらえても「それって生徒のためになってないじゃん」というものは嫌です。やると心が死にます。

 

お気づきになられたと思いますが、以上2つの活動だけでは充分な金銭報酬が得られないのです!ということで大事になるのが3番目の活動、事業ちゃんです。

事業…100%カネ。お金を稼ぐためにやります。お金がもらえるということは、人に求められているということです。お客さんに感謝してもらえるということです。なのでお金が稼げる事業は素晴らしいものなのです。

「お金を稼ぐだけの仕事なんてつまらない」とぬかしてた昔のおれよ、くたばれ。きちんとカネを稼げる仕事をつくれるまでお前に発言権はないのだ。

そしてこの活動は僕が代表で人を巻き込んでやっているので責任があります。別に僕はやりがいだけでいいけども、人にはきちんとお金を払わなければ。

 

あと最近の価値観では「仕事とお金を与える人かっけー」と思います。1番の趣味の教育ともリンクするんですよ。いい仕事は人を成長させると思います。僕もたくさんの人に仕事をもらってここまで大きくなりました。なので僕も、人に仕事を与え、人を育てるオトコになりとうごわす。そして適切な報酬を払いとうごわす。急に騒ぐ九州男児の血(祖父が鹿児島出身)


まとめ
社会人になって初めて「カネ稼がないと!」と思いました。いい仕事をしたければ軍資金としてのお金を稼がないとね。人と一緒に仕事をしたければ給料を払わないとね。人に給料を払えるのが大人のオトコだね。自分のお金はどうでもいいと思っちゃうけど、人に払うためならお金を稼ごうとがんばれるね。僕に1番足りなかったのは「お金を稼ぐ」という意識だったんじゃないかと思っています。

 

仕事において「やりたいこと」はどうでもいい

最近思っていることを今の段階の理解でまとめようと思います。もっとちゃんと書けるようになってからブログにしようと思っていたけど、そんなんカッコつけすぎ。途中は途中のおもしろさがあるから、それでいいのです。

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こないだ仕事関係の先輩がこんな話をしてくれました。
「自分がお金をもらう側として、どうしたらお金がもらえるかだけを考えている内は、お金や仕事に対する姿勢に限界がある。自分がお金を払う側、人を雇う人間になって初めて広がる視野と深まる思考がある」

―――

僕は最近、「おれのやりたいことなんてどうでもいい」と思っています。そこに至ったのは、人を誘って一緒に仕事をすることに挑戦し始めたからです。

メンバーは僕ともう2人。3人の中に上下はないけれど、「一緒になんかやりましょう」と誘った言い出しっぺは僕だし、仕事としての役割的にも代表は僕です。だから僕は2人に給料を払わないといけない。2人のためにもお金を稼がないといけない。

僕が26歳で、2人は29歳と33歳。年齢的にも無邪気に夢を追っている場合じゃない。「失敗してもいい。将来成功するための成長の時間だ」そんな悠長なことは言ってられない。

こうなると自分勝手なやりたいことはどうでもよくなる。優先順位が変わる。自分だけの野望よりも、自分がもらう分と人に払う分のお金を稼ぐ方が大事になる。お金を稼ぐとは、他者に価値を与えること。困っている人の力になること。依頼に応えること。いい仕事をすること。事業としてきちんとお金が回ること。本当に人のためになることをする。そういうことに価値を感じるようになりました。

 

というわけで、とにかくお金を稼ぐ。事業として成立させることを目標に活動しています。すでにある需要に手堅くアタックしていくスタイルで、いま取り組んでいるのが地域活性の分野です。たくさんある課題に対して、それを解決しようとしている人が少ない。需要に対して供給が追いついてないと思うので。大学の頃は地域政策学専攻で、起業して最初にやった仕事は地域活性のコンサルだったりと下地もありますし。

 

「仕事はやりたいことをやるのが1番」と言っていた頃が懐かしい。2年前、会社辞めてすぐの時期。別にあれも姿勢としては間違ってはいない。重要なのは採用するタイミング、順序、自分の状況。やりたいことを思いっきりやった結果、現在の「やりたいことなんてどうでもいい」という思想に辿り着く。やりたいorやりたくないの価値基準で動いてからじゃないと、その価値基準のしょーもなさには気付けない。

 

【ほのぼのエッセイ】僕の人生のピークは幼稚園でした

   僕の人生のピークは幼稚園の頃でした。

   同い年の子たちと比べて体が2周りは大きかったので、フィジカル面で圧倒的な優位を誇っていたのです。通っていた幼稚園は給食ではなくお弁当だったのですが、僕が必要とする栄養を詰められるお弁当箱が大き過ぎて幼稚園指定の黄色いカバンに入らず、お弁当専用のバックを持って行くくらいでした。なのでやんちゃな子にイジメられることもなく、自分の仕事(遊び)に没頭できた充実した毎日でした。

 

    同じクラスにKくんという子がいました。Kくんはまあ暴れん坊で、工作で使う素材として教室に置いてあったサランラップの芯を武器に、お友達の頭をポカンポカンやっていました。トイレットペーパーの芯ではなくてラップの芯です。めちゃくちゃ固いやつ。あれで頭をぶん殴られたら大人だって痛い。だからKくんが1発ポカンとすれば、お友達はうわーんと泣いてしまう。ポカン。うわーん。ポカン。うわーん。そうやって彼はラップの芯1本でクラスの頂点に登り詰めました。

 そしてある日、ついにKくんが僕に向かってきたのです。ささいなことでけんかになり、愛刀のラップの芯で僕の頭をポカン。「いってえな!」僕はそのままラップの芯を奪い取り、Kくんの頭をポカンポカンポカン。徹底的に叩きのめしました。

 

   なんだかんだそれをきっかけに仲良くなり、僕とKくんは一緒に遊ぶようになりました。2人で危ない遊びばかりしていましたね。というより、危ない遊びに耐えられる腹の据わったお友達が園内にお互いしかいなかったのです。ヌルい遊びに飽きたときは「おい行くぞ」と誘い合っていました。危ない遊びというのはもちろん、痛みを伴うリスクがあるということです。

   例えば、僕らのいた幼稚園は2階建てで、中の階段とは別に2階のベランダから1階に降りる非常用のすべり台がありました。そのすべり台がつるつるした石材で出来ていて、よくすべっておもしろい。なのでよく園児たちが遊んでいたのですが、あくまで非常用ということで2階からの降り口がロープで封鎖されてしまったのです。しかし、それでもすべりたい遊びに熱心なお友達は、すべり台の出口の方から逆さに登ってすべって遊んでいました。しかし、まあすべる。おまけに勾配が急。なので下から上がろうとして、すべって思いっきりあごを石材に打ち付ける事故が多発し、お友達はみな脱落していきました。最後まで懲りなかったのが僕とKくんなわけです。そうやってすべり台を楽しんでいる僕らを見て、たまに痛みを忘れた無謀なお友達がやって来る。そしてすべってあごを打って泣く。

Kくん「おいおい泣くんじゃねえよ。泣いたら先生が来ちゃ、ほーら来ちゃったよ」そして救護と共に検挙。幼稚園の先生は救急隊であり、僕たちにとっては警察官でもありました。

 

   一番思い出深い遊びは、大きな積み木遊びですね。ひとつの積み木が腕をめいっぱい回して、やっと持ち上げられるくらいの大きさ&重さでした。体の大きい僕でさえも大変でしたから他の子は誰も遊べない。だから2階の体育館の隅に放置されていました。そんな積み木がたくさんあって、ちゃんとつくると大きな城が完成するほどでした。大人になった今思い返しても、非常に楽しそうです。

 Kくんと2人でピラミッドを建設する奴隷のごとくせっせと積み木を運ぶのですが、とにかく重たいし中には三角形のものもある。三角形の重たいものを持てばそりゃ安定しないわけで、頻繁に足に落とします。

僕「いっ!!」

Kくん「どうした?」

僕「…ん、なんでもない」

積み木を何個も運べる腕力と、足を腫らしても平然としている根性。まさに僕たちにしか許されない遊びでした。