やりたいことがあることの尊さ
僕の欲求は、
コソコソしたい!
コソコソ裏で動いて人を感動させたい。強烈なライトが当たる舞台に立って「いかがでしたか、みなさん!」なんて挨拶せずに、会場の隅から興奮する観客を見て、ひとり満足げに微笑みたい。
…暗っ!!
もうコソコソしたい自分を受け入れましたが、発見して5日くらいは自分の暗さに引いてました。
でも前に出たいタイプじゃないしね。みんな注目されると恥ずかしくて顔が真っ赤になるしね。本当は出来るだけ自分の影を消したいんだ。※ブログは例外
京都の仕事仲間、K藤と一緒に居て気づかされたんです。
K藤は僕の分身みたいなもんで、K藤を人に紹介する時は「僕がもう1人いるって思ってくれればいいです」って言う。
それだけ共通する2人だから、細かい違いがすげえ目立つ。
K藤は自分が前に出てしゃべりたいタイプ。
僕は前に出たくないし、たいしてしゃべりたいとも思わない。
K藤は明るく夢を語る。
僕は冷静に現実を語る。
2人でお互いの違いについて問答していると、僕が暗いって事実ばかりが溜まっていくんですよ。言うほど暗くないのに!K藤と比較した時に、どちらかと言えばってだけ。全部K藤のせい。
コソコソの欲求に気づいてから意識していたのが、
自分の最大価値をいかに発揮するか?
です。
このコソコソを素直に受け入れるとしたら、組織の代表をやるのは違うんだよね。確実に裏方。
最近は2番手でもいいと思えるようになったので全然オッケーです。
東京で最初の起業を華麗に失敗したおかげで、無駄なプライドも少なくなってきたし、変な必死さもなくなったし。
他人のビジョンを信頼できるようになったというか。
昔だったら人がやりたいことに対して「なんでそう思うんですか?」って詰めまくったけど、今はだいたい共感できれば「いいですね」で終わり。
自分の方が優れてるって証明したかったのかもね。だから人の考えの浅さを露呈させたかった。自分のビジョンの方が深く考えられてて本質的だって思いたかった。そんな気がする。
自分のビジョンが1番だって思わなくなったなぁ。
ニートの時にやりたいことなくなって、何のために生きたらいいのか分からなくなった。
あの時間を経験したから、やりたいことがあるってそれだけで尊い。
だから他人の夢に触れると「素敵です」ってなる。尊い気持ちでいっぱいだから、うっとうしい議論を吹っかけようなんて思わない。「ぜひ実現しましょう」ってなる。
今ひとつ、ライターとして実現したいサービスがあって、それは絶対カタチにしたい。
逆にそれが出来たらコソコソ生きる方、人の夢を実現する方に専念しようかなぁ。K藤という共感し、信頼できる、そして僕より明るいやつがいますからね。非常に担ぎやすい神輿。K藤を担いでわっしょいわっしょいですわ。