『自分を無条件に肯定する』 その2
前回の続き。
物事を疑い、考える癖がついた結果、
「人生って意味なくない?」
という問いが中学三年で生まれました。
これに対する当時の僕の答えが、
「普通の人生に意味はない。世界を変える人生であれば意味はある」
でした。
「じゃあそういう人間になろう。そのためには精神を向上させねば」
あの頃はそう考えてましたね。
人を見て、本を読んで、人としてどうあるべきかを考察し追求する日々でした。
高校の現代文で夏目漱石の『こころ』を読んで、
精神的に向上心のないものは馬鹿だ
このKのセリフに激しく共感したりしてました。
こうやって振り返ると、原理主義者ゆえの純粋さが思い出される。
あの頃はひたすらに、真理や悟りを求めていた。大学では哲学をやりたいと思うくらいに。
まあその時は哲学っていう言葉を知らなくて、自分がやりたいのは心理学だと思ってたけど。とにかくニンゲンに興味があった。これぞ文系。
結局は「世の中変えるには政治だろ」となって政治学を専攻することになりました。
どうすれば日本はいい国になるのか。
なぜ日本の政治は上手くいっていないのか。
大学二年の春休みに、
「日本は民主主義。いまの政治をつくっているのは日本国民。ということは一人ひとりが社会に関心を持って行動しないと世の中は変わらない。つまり必要なのは日本人の意識を高める市民教育や!」
みたいな結論に至り、
「とりあえず政治や社会問題について、フラットに語れる場所がないのでは?ではつくましょう」
となって、
政治に関心がある人を集めて、普段は言えない思うところを語りあってもらう。みたいなイベントを開催しました。これがはじめての企画。このとき大学三年。
そのあとも同じようなことをやりましたが、お見事あっぱれ行き詰まり。
根本から考え直して新しく出た方法がソーシャルデザインでした。
いかしたアイデアで、楽しみながら社会問題を解決する。みたいなやつです。
「人はいくら問題意識があっても、過程がツラかったら動けない。だから楽しむこと。自分が楽しいことをやるのがいちばん!」
というのがその頃の悟り。このとき大学四年。
んで四年の夏に楽しむことを重視したソーシャルデザイン的なイベントをやって満足し、そこで政治は自分の中でいったん終わりになりました。
そして大学四年間で得たものを後進に伝えたくなり、四年の10月に教育系サークルを設立しました。ここで教育に目覚めて、起業後の育成事業や人材業につながります。
あれ、なんのはなしだっけ?
なぜおれはこんな自分語りを…?
そう!
『自分を無条件に肯定する』
どうやってこの境地にたどり着いたかのはなしだったじゃない。
このはなしをきちんとするには、この自分語りをしておかないといけないのです。たぶん。
ということで次回やっと、自己否定をしていた僕が無条件に自分を肯定できるようになった話が出来る、と…思います……すいません………