起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

「ありがとう、って言われると嬉しい」という発言に潜む闇

「ありがとう、って言われると嬉しい」という発言に潜む闇。


若い女性の看護師や介護士が言ってるイメージ。NHKでそんなインタビューを見た記憶がある。



高校生の頃よく聞いた気がするんだよね。テレビでも現実でも。


聞くたびに(ぬるいこと言ってんじゃねえぞ)って心の中で毒付いてた。





「ありがとう」って言われると嬉しい。この発言の裏には、



誰かに「ありがとう」って言われると自分には価値があるんだと思える。


言い換えると、


誰かが「ありがとう」って言ってくれないと自分に価値があると思えない。


この闇が潜んでいるんではなかろうか。





自分の価値、精神の安定が他者の承認に依存してるんだよね。


「他人からどう思われようと自分は自分」っていう多くの人がたどり着きたい境地からいちばん遠いところにいる。




高校生の僕はここまで言語化して理解してなかったけど、


(自立した精神を持たないと誰かにいいように使われるだけだぞ)とは思ってた。







で、いまの僕が思うことなんですが、



「ありがとう、って言われると嬉しい」


なんて言うのはとても素直ないい子よね。こういう女の子と付き合いたい。一緒にいたらおれのあまのじゃくが治りそう。


まあ僕の持病のはなしは置いといて…。




事業をする上で、自分の信念に沿った顧客のために力を尽くす〈顧客第一主義〉を実現するには、この素直な心が絶対に必要でしょ。顧客にありがとうって言われると嬉しい、っていう素直で美しい心。





〝人を喜ばせることに喜びを感じる〟


ってのは誰しもが本能で持ってる性質なので、投げるべき問いは、



誰を喜ばせることに喜びを感じるか


かな。



なので、「◯◯な人にありがとう、って言われると嬉しい」


これだな。


ありがとうって言ってくれれば誰でもいいわけじゃなくて、特にこういう人を喜ばせてありがとうって言われたい。それが顧客だけじゃなくて、家族や恋人、友達でも。


これなら違和感がない。高校生のおれでも(あぁん?)ってならない。




まとめ。


「ありがとう」って言われると嬉しくなる素直な心を保ちつつ、誰にありがとうと言って欲しいのかを明確にする。それが自分の信念になって、他者の承認に依存しない自立した精神を持った自分になる。














編集後記

おれ「最近◯◯なことにあぁん?と思うんですよ」

賢者「青年よ、それはおぬしの次元が低いからじゃ。もう一段深く考えてみよ。おのれの間違いに気づくはずじゃぞ」


こんな対話ができる相手が欲しい。。

論語でも読むか。