処刑場としての会社
一度死ねばいい
最近、たまたま出会った学生に進路についてコメントを求められたら「1回会社に入ればいい」って言います。起業したい、みたいな夢を持っている子には特に就職をオススメする。
なぜなら、一度死ねばいいと思うから。
死ぬため、殺されるために会社に入る。
まあもちろん、命がdeadじゃない。
働いてみて社会の現実に打ちのめされればいい。
自分が描いている理想が妄想だったと気付けばいい。
自分が考えていたことがいかに空虚か。いかに現実を踏まえていない妄想だったか。生活費を稼ぐために働くことがどれだけ大変か。
そうやって毎日に疲れて理想を捨てて忘れて、学生の頃には絶対なりたくなかった、つまらない大人になっている自分に失望すればいい。精神的に死ねばいい。
そこから生き返ったら本物。会社と社会がおまえを殺しに来ても死なずに済んだら本物。
自分の理想が妄想だと気づいて自分の空虚さに絶望して、それでも消えない、もう一度現実を踏まえた理想をつくれるか。つまらない大人になりきらず、理想の人生を歩くことが出来るか。
そういうことで、一度死ぬ経験、社会に殺される体験はとても大事だと思うのです。
で、その体験を簡単に提供してくれるのが会社かなと。自分から死ぬって難しいし、他人に殺してもらうのも難しい。
諦めたくても諦められないものがあるか?
僕自身、2016年8月から2017年10月まで死んでいましたのでね。最初の起業失敗した後のニート&フリーター期の1年間は精神的にどん底で、本当に何も考えず、ただ日々を流していただけだった。
そこから浮上して来た今、一度死んだことで得られたものがたくさんある。捨てられたものもたくさんある。強制的断捨離。持っていたものをすべて失って、それから取り戻そうと思う時、もう一度欲しいと思うものは意外と少ない。何が大切なのか、誰が大切なのか。
どん底まで落ちても離さなかったもの。どれだけ忘れようとしても消えない想い。
諦めないのではなく、諦めたくても諦められないもの。
それが本当に自分がやるべきことだと思います。
僕が忘れられなかったのは、
「世界で1番、社員が幸せな会社をつくる」という起業当時に掲げた夢でした。
人が幸せに働ける会社をつくりたい。
仕事ありきではなく、人ありきで組織をつくり業務を回す。人は誰でも才能があり、それを発揮できる環境をつくれば、働く人が幸せでかつ生産性の高い企業になるはずだ。という想いです。
必ず帰って来い
ということでタイトル、「処刑場としての会社」です。現代にそびえる断頭台。そこで首を刎ねられても、新しい頭がにょきにょき生えてくるやつが本物。みんな一度死ねばいい。そして、必ず帰って来い。