起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

【ほのぼのエッセイ】僕の人生のピークは幼稚園でした

   僕の人生のピークは幼稚園の頃でした。

   同い年の子たちと比べて体が2周りは大きかったので、フィジカル面で圧倒的な優位を誇っていたのです。通っていた幼稚園は給食ではなくお弁当だったのですが、僕が必要とする栄養を詰められるお弁当箱が大き過ぎて幼稚園指定の黄色いカバンに入らず、お弁当専用のバックを持って行くくらいでした。なのでやんちゃな子にイジメられることもなく、自分の仕事(遊び)に没頭できた充実した毎日でした。

 

    同じクラスにKくんという子がいました。Kくんはまあ暴れん坊で、工作で使う素材として教室に置いてあったサランラップの芯を武器に、お友達の頭をポカンポカンやっていました。トイレットペーパーの芯ではなくてラップの芯です。めちゃくちゃ固いやつ。あれで頭をぶん殴られたら大人だって痛い。だからKくんが1発ポカンとすれば、お友達はうわーんと泣いてしまう。ポカン。うわーん。ポカン。うわーん。そうやって彼はラップの芯1本でクラスの頂点に登り詰めました。

 そしてある日、ついにKくんが僕に向かってきたのです。ささいなことでけんかになり、愛刀のラップの芯で僕の頭をポカン。「いってえな!」僕はそのままラップの芯を奪い取り、Kくんの頭をポカンポカンポカン。徹底的に叩きのめしました。

 

   なんだかんだそれをきっかけに仲良くなり、僕とKくんは一緒に遊ぶようになりました。2人で危ない遊びばかりしていましたね。というより、危ない遊びに耐えられる腹の据わったお友達が園内にお互いしかいなかったのです。ヌルい遊びに飽きたときは「おい行くぞ」と誘い合っていました。危ない遊びというのはもちろん、痛みを伴うリスクがあるということです。

   例えば、僕らのいた幼稚園は2階建てで、中の階段とは別に2階のベランダから1階に降りる非常用のすべり台がありました。そのすべり台がつるつるした石材で出来ていて、よくすべっておもしろい。なのでよく園児たちが遊んでいたのですが、あくまで非常用ということで2階からの降り口がロープで封鎖されてしまったのです。しかし、それでもすべりたい遊びに熱心なお友達は、すべり台の出口の方から逆さに登ってすべって遊んでいました。しかし、まあすべる。おまけに勾配が急。なので下から上がろうとして、すべって思いっきりあごを石材に打ち付ける事故が多発し、お友達はみな脱落していきました。最後まで懲りなかったのが僕とKくんなわけです。そうやってすべり台を楽しんでいる僕らを見て、たまに痛みを忘れた無謀なお友達がやって来る。そしてすべってあごを打って泣く。

Kくん「おいおい泣くんじゃねえよ。泣いたら先生が来ちゃ、ほーら来ちゃったよ」そして救護と共に検挙。幼稚園の先生は救急隊であり、僕たちにとっては警察官でもありました。

 

   一番思い出深い遊びは、大きな積み木遊びですね。ひとつの積み木が腕をめいっぱい回して、やっと持ち上げられるくらいの大きさ&重さでした。体の大きい僕でさえも大変でしたから他の子は誰も遊べない。だから2階の体育館の隅に放置されていました。そんな積み木がたくさんあって、ちゃんとつくると大きな城が完成するほどでした。大人になった今思い返しても、非常に楽しそうです。

 Kくんと2人でピラミッドを建設する奴隷のごとくせっせと積み木を運ぶのですが、とにかく重たいし中には三角形のものもある。三角形の重たいものを持てばそりゃ安定しないわけで、頻繁に足に落とします。

僕「いっ!!」

Kくん「どうした?」

僕「…ん、なんでもない」

積み木を何個も運べる腕力と、足を腫らしても平然としている根性。まさに僕たちにしか許されない遊びでした。