起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

「働きたくない」ならニートになればいい

僕の根本の欲求は「めんどくさい」

ほんとなんでもめんどくさい。生きるのすらめんどくさい。ほどほどに幸せな人生。そんな人生なら別に生きなくていいや、って思う。それぐらい怠惰。
だから出来れば働きたくもない。とか思っていたら職がなくなり、2015年の8月から2016年の4月まで8ヶ月間ニートをしてました。思考は現実化する。


で、出来れば働きたくない僕がニートを経験して思ったのは、ニートをやるには才能がいるということです。もっと言うと、ニート生活を楽しんで過ごす、には才能がいるのです。


僕がニートだった頃の1日の過ごし方の具体例がこれです。

 

11:00 起床(8時頃に一度起きて二度寝した)
11:30 朝食兼昼食
12:00 携帯いじったり本読んだりinおフトン
14:00 寝落ち
17:00 起床
17:20 ゲームする
19:00 夕食準備手伝い
19:30 夕食
20:00 入浴
20:30 ゲームする
22:30 テレビ見る
24:00 マンガ読む
02:00 携帯いじる
04:00 寝落ち

これが仕事に疲れた社会人のあこがれ、ニートの生活です☆
引きこもりでもあったので実家の両親以外とは会話なし。メール、SNSも見ないようにしていましたので、友達とのコミュニケーションもなし!


とにかく楽しい暮らしではなかった。マンガ読んだりゲームしたりするのは他にやることがないから。別に積極的にやりたい訳じゃない。

かといって仕事をする気にはなれない。そもそも思考をするのが苦痛。行動力のメーターが最大100として、常に20以下しかない感じ。仕事をする、将来について考える、など20を超えることは出来ない。ということでひたすらダラダラする。

 


何も生産しない生活。社会からの置いてけぼり感。ほんまツライ。社会人は労働をしなければならない。無職はクズ。という常識の圧力の凄まじさたるや。それに苛まれてむしろ働いていた時よりもストレスを感じる。世の中の生きているすべての人に引け目を感じてしまう。みんなは働いている。おれは働いていない。あとお天道様、日の光もなんだか息苦しい。あの聖なる輝きに耐えられない。ということで外に出るのは24時回ってからが基本。みんなが寝静まってから動き出す。我は闇の住人なり。月明かりだけが心の灯台。いったいおれはどこに向かえばいいのか。

 


人間は働かなければならない。最後までその常識を突破することが出来なかった。

与えられた常識を突破し、自ら常識を創るチカラ。
「働け」と言う社会の圧力を無力化するほどの、強靭で独立した精神。
毎日を素敵に彩る、卓越したユーモアセンス

この才能の持ち主でなければ、ニート生活を幸せに送ることは出来ない。


僕は凡人だ。働かないことが向いていない。働きたくないけど、才能がないんだからしょうがないじゃんか。諦めよう。潔く働こう。

 

 


また元気よく働けるようになって本当に感謝している。あの無為な日々は、人生における多くの悟りを導いてくれた。が、二度やりたくはない。自己を省み、成長を遂げる時間だと分かっていても絶対に無理!!おれにニートは向いていない。

 


働くのが嫌なら、一度ニートを経験してみればいい。人間、どこに才能があるか分からない。もしかしたらあなたは、選ばれし「働かざるもの」かもしれない。

やっぱり才能がなかったとしても、働かないツラさを知れば仕事で苦しい時に「無職よりはマシ」と自分に言い聞かせることで乗り切りやすくなる。一度くらい社会的な底辺に落ちるのはいいことだ。プライドもなくなるし、自分がなんとなく持っていたものの有り難みが分かる。ということで一度ニートを経験してみればいい。

ライターやります

ニート&フリーター時代にボヤボヤ(次なにやろうかな)と考えていた。


前回は、自分がやりたいこと第一で仕事を決め過ぎた、という反省があり、また強烈になにかを「やりたい!」という気持ちもなくなっていたので、まずは今の自分が出来ることから考えた。それで出てきたのが、聴く力と書く力。


第一次起業時代の根幹の業務はコーチングと対話だったので、聴く力はお金を稼げるレベル。


書く方も会社やめてからブログ書いてたし、そもそも15歳からずっと自分の思いや考えてることをノートに書いてた。いま25歳、自分の中で10年も積み重ねたことは他にない。

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 ↑10年分のノート


とりあえず書く仕事として小説家を思いついた。小説はまあまあ読む方で、いつかは物語を書きたかったし書きたいストーリーもあった。ということで書いてみました。だいたい原稿用紙10枚書いて飽きました。はい小説家なーし。
ここで書く仕事を考えるのをやめてしまいました。小説家ぐらいしかすぐに出来そうなのを思いつかなくて。個人的にブロガーは気が進まないし。



次に聴く力。
真面目に働くと死んじゃうような日本の労働環境に問題意識があったので、そこにトライするようなことがしたくなりました。学生の就職支援や社会人のキャリア相談とかもやっていたから下地はあるし、あとは適正な報酬をもらえるよう工夫するだけ。

よしこれだな!と思って準備しているところに、自分の進みたい方向の先を行ってる先輩から「経営者のインタビュー記事書かない?」とお誘いが来た。インタビュー記事を書いたことはなかったけど、聴くと書くは出来るから問題ないだろ、って判断して二つ返事で引き受けた。

 


それでインタビューして記事書いてみたら、めちゃくちゃおもしろい!
まず経営者のはなしを聴くのがおもしろい。普通だったら絶対アポが取れない人に時間がもらえて、しかも仕事や経営についてじっくりはなしを聴ける。事業への向き合い方を教えてもらうと「はあ〜、なるほど!!」ってなる。最高の時間。



今度はそれを記事としてまとめる。全体の構成を考えて、タイトルを付けて。インタビューした中でおもしろいと思った話や言葉を抽出して、読み手に伝わるよう文章としてまとめていく。そもそも書くことそのものが僕にとって心地いい作業で、自分で言葉を生み出すのではなく人の言葉を使うからサクサク書けた。そして編集の仕方に自分の色を出せる。最終的に、自分の言葉は載っていないのに「これはおれが書いたな」と自分の存在を感じられる、作品として満足できる記事になった。書き終えて報酬をもらって(いい仕事をした)と1年振りに思うことが出来た。

 


記事を書かせてもらってから1ヶ月くらい悩んでいたけど、仕事の拡がり、需要や成果物の分かりやすさ…etc が決め手になってライターで稼ぐことにしましたとさ。

 



今年の目標は、ライターの仕事で月30万稼ぐことです。毎日やりたいほど楽しくて仕方ない仕事で経済的に自立すること。ほんと、そろそろ立派な社会人になりたい。

 

 

「権力」から読み解くアンパンマン

権力は絶対的な暴力によって裏付けられている。僕らが法律を守るのはなぜか?違反すれば警察に捕まるからである。一般人は警察より大きな暴力を持っていない。もし警察が何人来ようと逮捕できないマッチョマンが居たら、その人はやりたい放題である。なぜなら逮捕される心配がないから。良心的にはどうであれ肉体的にはリスクがない。だから国民にルールを守らせるため、国家権力には絶対的な暴力が必要なのである。


さて、ここからアンパンマンの話になる。
アンパンマンはいつも対話や経済的交渉ではなく、アンパンチという暴力的解決を採用する。アンパンマンが暮らす、人間、パンの妖怪、菌の化け物、人語を話す二足歩行の動物、犬畜生が共存する世界では、絶対的な暴力を所有しているアンパンマンが最大の権力者と言えよう。あの世界は一見すると平和に見えるが、実質的にはアンパンマンによる独裁制が敷かれているのだ。


そんな中で、バイキンマンはいつもくだらない理由でアンパンマンに戦いを挑んでいる。彼をバカにする視聴者も多いだろう。しかしそれは表面的な見方に過ぎない。バイキンマンはあの世界の真実、つまりこの世がアンパンマンに支配されている事実に唯一気づいた存在であり、アンパンマンを倒すことによって偽りの平和を打ち壊し、世界に真の平和と民主主義をもたらそうとしているのだ。つまりバイキンマンこそが真のヒーローであり、不屈の魂を持った革命家なのである。


いつかアンパンマンを打倒し、彼が権力を掴んだ日には、民主的で平和な世界を実現することだろう。正義の名の下に暴力を振るわれ弾圧され続けた体験から、彼はきっとそうするはずだ。

「人の意見を尊重をしなさい」への反論

人のはなしを聞きなさい」

「もっと人の意見に耳を傾けなさい」

 

バリバリに尖ってて&すさんでいて、集団行動命令に従わなかった高校の頃に、先生や親からよく言われた思い出。そしてずっと思っていたのは、

 

おれがはなしを聞いてないんじゃなくて、

おまえのはなしに聞く価値がないんじゃボケ。ってこと。まずは尊重するに値する意見を持ってこいや。

 

割と人の意見も積極的に取り入れるよ?ただし自分が納得した意見に限るけど。

 

 

そもそもどいつもこいつも大したはなしをしてないんだよね。偉そうに外野からぎゃすぎゃす言ってくるだけでさ。

 

 

他人の意見なんて気にしてたら今まで自分がやって来たすべてのことが出来てないよ。

自分の意見を尊重した結果が、この過酷で充実した素晴らしき人生。人の意見なんて尊重してたらロクな人生にならん。

 

 

人の言うことに従って失敗したら、絶対に「あの人のせいで失敗した」ってなる。自分の人生の責任を自分で取れなくなる。最悪。

 

まあ最後は自分で選んでるんだけどね。その人の意見に従う、という選択を自分がしている。

 

 

 

結局、どれだけ自責の視点、自分に原因があるかと考えられるかでしょうな。

 

相手が自分のはなしを聞いてくれないということは、なにか違う意見を持っているのか、自分の伝え方が悪いのか、そもそもはなしを聞いてくれる信頼関係がないのか。

 

そうやっておのれを省みて改善する人でないと、こちらも聞く姿勢にはなりませぬ。

 

 

書いてて気づいたけど、

「人のはなしを聞きなさい!」

じゃなくて、

「私のはなしを聞きなさい!」

でしょ。本当に言いたいことは。

 

あんたのくだらないはなしを聞いてないだけで、こちらが誰の言うことも聞いてないような言い方やめてほしいよね。おまえが気に入らないだけだろっていう。むしろ僕はヒアリング能力高いほうだぞ。

 

 

 

 

僕みたいな頭のおかしい連中にはおかしいなりの哲学と生き方があるので、まともな人の意見は参考にならない。参考にしても上手くいかない。だから基本、人のはなしは「分かりました(魂なし)」で聞き流しておけば大丈夫。

 

そんな中で本当に親身になって教えてくれるイカれた人生の先輩はマジありがたい。一言も漏らさぬよう食らいついて聞きましょう。

 

普通になりたい 

久しぶりに目的地を決めずだらだらと書いてみます。最近はきれいにまとめる練習をしてたけど、あちこちに話が飛ぶのもいいじゃない。

 

さて、とりあえず年末の1週間だけでていた鮮魚店でのバイトが終わりまして。ほんと疲れた!いま書きながらふと嗅いだ手が魚くさいし。年末の鮮魚店ってめちゃくちゃ忙しいのね。年末年始のごちそうを買いに来る人が多いから。30日は午前4時に出勤して、午後5時で退勤。これだけでもやばいのに31日は午前0時出勤の午後4時終了。つまり30日の午後5時過ぎに帰ってきてご飯食べてお風呂入ってちょっと寝たらまた出動。そして休憩なしの16時間労働、って16時間!?働いといて信じられねえぜ。主な仕事は冷凍マグロの解凍。立ちっぱなしなので足が痛くてのう。ほんまに大変じゃった。

 

このはなしと関連するんだけど、最近「普通になりたい」という願望がありましてな。どちらかと言うと「普通なんてつまらねえぜ」的な雰囲気が出てる方だと思うんですけど、てか出していたんですけど。でもこの頃は普通になりたくて。そして普通の人に近付いていっている自分がおもしろくて。

ちょっとお金欲しいから年末にバイトしよ、ってめっちゃ普通。仕事が出来ない分、元気よくあいさつや返事をするとか。フリーター時代のバイト先でもそうだったけど「はい!」って元気よく返事をして、進んで雑用をするおれをみんなに見てほしい。めっちゃかわいい若者。昔はバイトなんて生活費がなくても出来なかったのにね。それがいまこうして元気よく単純作業が出来ることへの喜び。終わったあと「疲れたー!」って気持ちよく言える労働の素晴らしさ。

 

これも最近思ったんだけどね。おれ、頭がおかしい。前は周りがおかしくて自分が正しいと信じていて、まあ正しさに関してはまだ自信は揺らいでないけど、頭がおかしいのは確実におれの方。これは受け入れました。その辺のなんでもない人と話すとまあ話が通じないけど、これに関してはもうこっちが悪いよ。分かってくれない相手が悪いんじゃなくて、世間的に頭のおかしい事を言っているおれに責任がある。親との関係とか分かりやすくて、両親、特に父親が普通の人だから、いままでにやってきたこととかやりたいこととか、たぶんほぼ理解していない。自分を否定されることへの不満はもちろんあるけど、なんかいまは「こんな風になっちゃってすいませんね」的な気持ちがある。

 

 

ほんと普通になりたい。「誰にも理解されなくていい」とオラついたまま非凡の道を進むのではなく、多くの人に分かってもらえる凡人になりたい。だいたい心にトゲのある人は「出すぎた杭は打たれない!」というトゲを育てる方向に向かうけど、僕はもうトゲを紙やすりでぞりぞり削っていきたい。最終的には尖りきったツンツンな人物よりも、まあるいトゲトゲのこんぺいとうになりたい。ごめん、この例えはウソかもしれない。鋭いトゲトゲで色んな人をぶっ刺したいかも。でもそういうわけで、相変わらずどこかずれた生き方をしているのだけれど、もっかい方向をずらして多くの人と交わる人生にしたいと思っている。

こんなことを言うと「丸くなるな」と心配されるけどご無用です。これぐらいで簡単に丸くなれるほどの尖り具合なら、しっかり生きようと決めた15歳から10年間もこんなめんどくさい生き方なんてしていない。

 

 

普通になりたい。『君の名は。』とか観に行きたい。

「めっちゃ話題になってるし、おもしろいらしいよ?」

→世間で流行っていて、かつみんながおもしろいって言ってるならむしろおれは観に行かない。

この病気はほんといつになったら治るんですかね…。