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起業家ニートライター

【履歴】就職→起業(まちづくり&キャリア支援)→ニート→フリーター→起業(ライター) 2017年より京都在住。 平成3年生まれ。

【自己紹介】人生の始まり、15歳の原体験について。そしてオンリーオーダー

はじめまして、起業家ニートライターです。

こちらの記事は、めでたく僕のブログに遭遇してくれた方への自己紹介記事です。

 

簡単に僕の経歴を説明すると、

1991年生まれ。都内の大学を卒業後、そのまま東京で就職。あまりにも組織の一員としての仕事が出来なかったので、会社辞めてひとりでやろうかな、と思い始めた直後、知り合いから地域活性化コンサルタントの仕事を紹介してもらい、それを最初の仕事として独立。地域活性化の仕事をする傍らで、興味のあった教育を仕事にしたいと思い、自分でセミナーを企画したり、学生&社会人へのキャリア相談を行っていました。非常に充実した仕事でしたけど、まあお金にならず。もう一度修業のため教育系の企業へ就職も考えましたが、ノウハウを盗んで辞める気満々の生意気小僧を雇ってくれるはずもなく。次の当てがなくなり気力もなくなっていたので実家に戻り。実家でニートとフリーターを経て、2017年1月より京都に移住し、ライターとして活動しております。ちなみに、起業家ニートライターとは、僕の職歴をただ詰め込んだだけの名前です。


 新卒で入った会社をすぐに辞め、ノリだけで起業をし失敗し、実家でニートまでやり。自分でも「なにやってんの?おまえ」という感じですが、こういう人生を歩むきっかけとなった強烈な原体験がありまして。今回はそれをご紹介させていただきます。

 

ーーー

 

僕が15歳、中学三年、高校受験が間近に迫った日の出来事でした。
舞台は通っていた中学校です。ちょうど私立の試験が終わって、公立の試験日に向けて勉強している頃。そんなある日のホームルームで、


先生「みんなもう卒業でしょ?だから今までお世話になった先生方にお礼の手紙を書きましょう」

 


あぁん?

 


ってなりました。感謝される側が自分から「世話になったんだから手紙書け」っておかしくね?


まあまあ、まあいいわ。気に食わないけど書いてやるわ。3年間の担任の先生と、あと2、3人分ぐらいだろ。


と思いきや、中学校にいる全ての先生、名前も知らない先生から給食のおばさんも全員文。校長、教頭、用務員、事務員…。全部で30人分以上の手紙を全員書けと。

 


あぁん!?ふざけんな!!

 


強烈な反抗の意志が生まれました。
最後の追い込みの時期に何をやらせるんだ。名前も知らないやつへの手紙なんて書けるわけがないだろ。書いたところで嘘の感謝を並べたどうでもいい文章になる。そんなもの書く意味はないし、お前らもそんなもんもらって嬉しいのか。


こんなことを思いました。思っただけで確か言ってはない。でも「俺は書かない」という宣言はしていました。クラスメイトも不満の声をあげていて(これはいけそうだ)と反乱に成功のきざしを感じた時、


「うるさい!!いいから黙って書け!」


先生一喝。見事反乱は鎮圧された。クラスメイトはぶつくさ言いながらも手紙を書き始めました。その光景を見て思ったんです。


「これが世の中か」


おかしいと思うことでも、少し怒鳴られただけでおとなしく従ってしまう。理不尽なことがあっても何も感じない。気づいても主張しない。してもすぐに諦める。そうやって理不尽なことがまかり通っているんだなと。今この教室で起きていることが世界中で起きていて、そのことに自分は気づいてしまった。


結局僕は最後まで手紙を書きませんでした。先生に「なぜ書かないの?」と問い詰められても僕は何も答えませんでした。人生で初めて湧いた感情で苦しくて、それを少しでも言葉にした途端、涙を流してしまいそうだったからです。

 


この日から僕の人生は変わりました。先生も同級生も、親も友達も、誰も信用できなくなりました。この世界をつくっていて、でもその世界に対して疑問を感じていない。そういう人はすべて軽蔑の対象になりました。「お前らは何にも分かってない」と。


「自分で考えて、自分で決めて生きよう」


誰も信用できなくなった15歳の僕が選んだ生き方でした。


−−−−
以上、僕の原体験でございました。あの体験があるからこそ今の人生があります。そしてこれからの人生も。


この頃、自分が生まれて来た意味について考えています。僕はこの世界の一員としてどんな役割を果たせばいいのかと。

それを考えた時、一番に思い浮かぶのがこの原体験なのです。世の中に対して「あぁん?」と思う自分。世間から外れたところで「あぁん?」とやるようになった自分。

世界に疑問を投げかける存在として、これは非常に貴重で重要な役割。

しかしほとんどの人とは問題意識を共有できないので、基本的に孤独でツラい。出来れば世間とは関わりたくないと思っていました。


でもあぁん?ってなる同士で世間を指差して「あいつら分かってねえよな」って言うだけなのも違う。世間から外れてしまった僕だけど、もう一度世の中に戻らないといけない。

ちゃんと自分の感じている違和感を提案にまで昇華する。そうやって「みんなは今こうやっているけども、それで本当に幸せかい?僕なりに新しいやり方を考えてみたんだけど、これどうかな?」って感じで。「あいつらくだらねえ」ってグズグズ言ってるだけじゃせっかくの「くだらねえ」って思う感性を活かせてない。世の中に対して疑問を感じる感性は、「あいつらバカだな」って言って自尊心を満たすためにもらったものじゃなくて、世の中をより良い方向に、社会にもっと幸せな人を増やすためにもらったもの。

 

本当に世界を変えるのは僕らみたいな人間だと思います。

「あぁん?」と思うことが多すぎて、我慢できずに試しに言ってみたら、怒られたり、無視されたり、どうかしてるって言われたり。

思いきって言ってみたら余計孤独になって、世界はなんにも変わらなくて。

 

こんなことなら生きていくの嫌だなって。いちいち「あぁん?」ってイライラするのも嫌だし、それが理解されないのも嫌だし。いっそ誰とも関わらず孤独にひっそり暮らしたいと思うけどそれも許されないし。自分が「あぁん?」って思うこと、絶対にやりたくないことでも無理矢理やらされる。そういうのが全部嫌すぎて「こんなことが続くのが人生なら、別に生きられなくたっていい」とまで思った。我慢して生きるよりいっそ死んだ方がマシ。

 

でも死ななかった。死にたいほどツラかったけど「この世界を俺が変えてやる」って立ち上がった。世界を変える人間になろう、そのために努力しようと15歳で決意した。

やべえ忘れてたよ。15歳の時にマジでそう思って決めたんだよ。もうおれの人生はあの時に決まっていたんだ。

 

ずっと「いつか見てろよ」って反骨心で生きて来た。でもそれだけじゃダメだって起業を失敗してニートにまでなって気づいた。「おれが正しいんだから黙って従え」そういう姿勢じゃなにも変わらないって。

やっぱり、どれだけ「あぁん?」ってなっても僕らも世の中の一員なんだよね。外からどうこう言うんじゃなくて、世の中に入ってみんなと一緒に考えて行動していく。社会に対して自分が出来る最高の貢献をしていく。我慢じゃなくて自己犠牲でもなくて、自分の意志で「世の中に加わりたい」って思った。だから僕は世の中に戻って来ました。

 

 

最近さ、Only order オンリーオーダーって言葉がハマってるんです。オンリーオーダー、たったひとつの注文。注文は天からの注文って意味で、つまり天から自分に与えられた唯一の役割のこと。それがオンリーオーダー。役割を使命、ミッション、天職と言い換えてもいい。やっぱり人はそういうのがあると信じたい。自分が生まれて来た意味ってのがあると信じたい。そしてそれに気づけた人の人生は幸せだと思うんだ。事実、僕は幸せだもん。10代はまあまあきつかったけど、でも「あぁん?」ってなってしまう自分を恨んだことは一度もない。いつだってどんな時だって「あぁん?」ってなる自分が好きだった。

 

オンリーオーダーは誰かに教えてもらうものじゃなくて、自分で追求するものだと思う。

それを求めて社会と関わって社会に映る自分を見つめていく。行動と内省を繰り返して、ひたすら自分を試行錯誤していくしかない。

その先で「おお、これか」と出会えるもの。それがオンリーオーダー。

 

そして、自らのオンリーオーダーを求めて生きているやつを集めたチームをつくりたい。

自分が人生で果たすべき役割、自分だけが実現できる世界、自分にしか出来ない仕事、自分だから笑顔にできる人、そして自分の幸せな人生。

それを求めているやつらがとっておきの自分、自分にしかつくれない価値を持ち寄って、その価値を僕がまとめてトンデモなく大きな価値にして、それでもって世界を変えて行く、そんな仕事をするチーム。

やっぱりこれだなぁ、おれ。オンリーオーダーなチームをつくりたいね〜。しみじみ思うわ。


 

オンリーオーダーに関しては、じゃあこれを会社にするとして「具体的にどんな事業をするのか」を考えないといけませぬ。正直ここに関してはしばらく考えつかないと思いますが。僕の原体験から出て来るビジョンはオンリーオーダー、そしてオンリーオーダーなチーム。ここまで。だってそいつらと一緒だったらなにをやってもおもしろそうだもん。

 

 


さて、本当は原体験だけ書いて終わりにするはずだったんですが、いま思っていることを全部書いてみました。オンリーオーダーはもう少し暖めておきたかったんですけどね。

ではでは!ここを始まりとして、これから新しく始まる予感がする僕の人生をこれからもお伝えさせていただきます!

起業家と人事。経営者の矛盾する2つの役割

経営者の2つの役割とは?

経営者には2つの役割があると思います。

第一に、顧客へ提供する商品を創り出す起業家的な役割。視点は外(顧客)を向いている。

第二に、人を育て適切な仕事を与える人事的な役割。視点は内(社員)を見ている。


2つの役割は視点が外向きと内向きとで違います。創業者である組織のトップとNo.2が揉める原因はこの視点の違いだったりする。トップはもっと顧客を喜ばせたい。No.2は顧客よりも社員、メンバーを大事にしたい。優先順位が違うので議論が平行線になってしまい折り合いがつかない。


どちらも経営者には必要な資質なのですが、両方を高いレベルで兼ね備えている人は稀です。この目線で人を見てみると必ず視点が外か内かに別れます。両方を持っている人はまだ見たことがない。


そもそもが全く異なる能力です。起業家としての側面を出して行くと、顧客に対して最高の価値を提供したいと思う。そのためどうしてもメンバーの仕事のクオリティには厳しくなります。メンバーから仕事に関して恐れられる存在になると、気軽に悩みを相談できる関係ではなくなってしまう。起業家であることを追求した結果、人事としての役割は死ぬ訳です。逆に人事を追求し過ぎると、目線が顧客よりもメンバーに向くので、企業として顧客に価値を与えることが難しくなって来る。世の経営者はこれをひとりでやらなければならないので大変なのです。


理想は起業家と人事を分担すること
ひとりの人間が起業家と人事、2つの役割をこなすことは無理だと思います。なので理想は、顧客、商品に関する責任者。人事、メンバーに関する責任者を分けること。


創業者である経営者ならば、その人は起業家タイプである可能性が高い。そして人事に苦労していることでしょう。その場合はメンバーから人事の資質を持つ人を人事責任者に抜擢して任せてしまうのが良いと思います。


「任せられる人材なんていないよ。そもそも誰がどちらの素質を持っているか分からないし」

その人の素質が起業家的か人事的か。見分ける方法は簡単です。


会社全体に関して意見を求めた時に、商品の内容や営業方法など顧客に関わる点についてコメントする人は起業家タイプ。社内の教育制度や労働環境、組織のメンバーに目が向いた意見を持っていれば人事タイプです。普段の意識が外内どちらに向いているか?それが分かる質問をすればいい。どちらのタイプかさえ分かれば、あとは才能のある人へ任せるだけです。好きこそものの上手なれで、メキメキその役割を果たしていくはずです。

 

補足

学生が就職活動で企業を見る際の見方としても使えます。情熱に溢れるベンチャー企業の社長を見て魅力を感じた場合、社長だけを見て入社を決めるのではなく、あなたを育ててくれるNo.2的な人事責任者がいるかを確認しましょう。社長のように働きたいと思っても、起業家である社長はあなたより顧客を見ているので、あなたを育ててはくれません。あなたを一人前にしてくれるのは人事的な経営者です。


−−−−


起業家と人事のタイプで自分を見ると、僕は人事の側面が強いです。ライターとして素晴らしい商品をつくってそれを世界中に広めることよりも、なんでもいいからとにかく雇用をつくって、誰も実現しようと思わなかった理想の組織をつくることの方がワクワクします。だから才能に従うならば、僕は商品に関して口を出さず、組織の中でひたすら育成と人事に集中する。たぶんそれが僕の最大価値を発揮できる。

ちょうど仕事仲間のK藤が起業家タイプの経営者気質なんですよ。だからお互いに順調に成長すれば最強のコンビになれる。

しかし!

僕はまだ自らが起業家たることを諦めていないのです。自分で商品をつくって組織もつくりたい。起業家と人事を兼ね備えた完璧な人材になりたい。若さと言えば若さですが、まだ25歳なんでね。天から与えられし役割に逆らってでも、自分でやり切ったと思えるところまで挑戦させていただきます。

【仕事】男の人生について【結婚】

20代も折り返しに入り、同級生がちらほら結婚し始めています。また転職など次のキャリアへ挑戦をする人もそれなりに。そんな中で僕が男の仕事と結婚、幸せな人生について思うことを書いていきます。

 

幸せ度は結婚の方が高い

僕はワークライフカオス※1の第一人者であるため、自分の仕事が優先順位1位です。仕事とプライベートを明確に分けるのではなくごっちゃごっちゃ。仕事してるんだか遊んでるんだか分からない働き方。それがワークライフカオス。

そんな僕ですけども結婚は絶対にしたいです。そして仕事と結婚、幸せの度合いも結婚の方が高いと思う。


最大を100として、いま僕の幸せ度が50だとします。結婚をすると幸せ度が80になります。80以上は「自分は幸せ度だ」と思える度数です。つまり結婚をすると幸せになる。


次に仕事。僕は仕事を通して自分のビジョンを達成したい。じゃあ達成されたとして幸せ度はどうなるかというと50から20増えて70くらい。結婚は30増えて80、幸せと感じられるラインに入ったのに仕事は70までしか増えない。これが第一に言いたいこと。男の幸せ度は仕事より結婚の方が高いと思う。たとえ仕事が充実していたとしても家庭を持っていなければどこかで寂しさ、空しさを感じてしまうだろう。

 

順序は仕事→結婚
男の幸せは仕事か結婚か、で考えると結婚の方が幸せになれる。ただ仕事をがんばるだけでは幸せになれない。

じゃあまず結婚をすればいいのか、というとたぶん違う。幸せになるために重要なのは順序だ。


まず仕事を充実させてから結婚するパターン。自らの志を果たすため仕事をがんばる。仕事が充実する。幸せ度は50から70へ。ある程度結果が出て収入も安定して来たところで結婚を考える。パートナーを見つけて暖かい家庭を築く。幸せ度は70から100に。幸せ度MAX!最高に幸せな人生だ。


逆に結婚してから仕事をがんばるパターン。学生時代から付き合っていた彼女と就職を機に結婚します。幸せ度は50から80へ。
さあ、ここから仕事に取り組んで自らの大望を果たし、幸せ度を80から100へ!


といきたいところだけど、そうはならないと思うんだよな〜。

男の人生という器に先に結婚を入れてしまうと後から仕事が入らない。というのが僕の見解です。


結婚をすると守るものが出来る訳でしょ。とにかく毎月生活費を稼いで来ないとならない。自分の中での優先順位1位が仕事ではなく家族になる。だからどうしても気持ちが守りに入る。家族を守るために仕事をする。って時に思いきった挑戦が出来ますか?ってことよ。転職も独立も移住も、たとえそれが仕事にプラスになると思っても家族のことを考えたら気軽に出来ないだろう。自分の人生より家族の人生を優先する。世間的にはそれが夫であり父親であるということ。だからなんのやりがいもない、ストレスしかない仕事でも家族のためにやり続けるしかない訳だ。オーマイガッ。でもそれでも幸せなのだ。それほど家族がいることの幸せは大きい。


今のは意識の話だが、時間という意味でも仕事に使えるリソースは減る。とりあえず土日は家族サービスでしょ。仕事第一に出来ない日が週に2日もあるってこれから自分の仕事を確立していくって段階では致命的なのではないか。

こういう言い方はアレだが、結婚することによってタスクが増えるよね。独身なら存在しなかったやらないといけないことが発生する。


あと「幸せになってしまう」ことの危うさ。今の人生に満足できないから人は努力する訳で、幸せ度を50から70にするのと80を100にするのはハングリーさが違う。結婚してある程度幸せだったら、仕事もちょっと安定したところで(こんなもんでいいか)と思ってしまうのが自然だろう。その安定をぶち壊すリスクを取ってまでさらなる挑戦をする理由がない。だって幸せなんだから。

 

「守るものがあるからこそ、より仕事もがんばれるのだ」というのが世間的な模範解答だろうけど、僕はそういういい子ちゃん発言を全く信用しない。もっと自らの闇を掘り下げた意見を持って来い。

そういう意味でいうと僕が大好きなおじさんがとんでもない発言をしていてね。その人は結婚して子供もいて、僕から見れば仕事も充実してそうに見えるんだが、仕事と家族の話になった時に、
「おれが仕事でもう一歩挑戦しきれないのはあいつら(家族)がいるからなんだよな〜」
こいつ言いおった!って思ったね。2年ぐらい前の酒の席での話だけど絶対に忘れない。

 

 

仕事よりも結婚の方が幸せ度は高いと思うけど、男として最大の幸せを追求するならば、自分の人生に対して職人でいたいならば、順序は仕事を充実させるのが先で結婚はその後がいいのではないか?
というのが現在の見解です。これがより深まるようなコメントをもらえると嬉しいです。

 

※1 「ワークライフカオス」についての説明はこちらをご覧ください

 

karasimentai.hatenadiary.jp

 

 

人が見た時に「壁か?」と思われるような成長曲線を描きたい

以前に運営していたブログの記事に人生の先輩から「そのままドンドン行け!」というコメントを頂戴したことがあります。

少し経ってから、そのままドンドン行け、というのは「そのままのおまえで行け」という意味ではなく「そのままの成長率で行け」という意味なんだろうなと受け取りました。いま味わい直してもそうだと思います。


まだ若輩者ですが、まあアップダウンの激しい人生で、

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↑グラフにするとこんな感じです↑

 

去年の10月に精神的なドン底より上がって来たところなので、この調子でどこまで行けるか?という感じです。出来れば今回のフェーズで社会人として自立するところまで辿り着きたい。

 


下がりきった後にガッと上がっていくのは、精神の暗闇で自分を見つめ直し、新しい価値観を得て帰って来るからです。そしてその価値観では通用しないレベルまで上がりきった時にまたGo to hell 地獄の釜で叩き直される訳です。非常に上手く出来ていますな!(と思わないと自分の不器用さにやっていられない)

 

なのでブレイクスルーを起こした後の成長率の高さについては自信を持っているのです。現在も成長期ならぬ覚醒期に突入しており、あちこちから学ばさせていただいてます。

 

そんな中で、


人が見た時に「壁か?」と思われるような成長曲線を描きたい。

 

という言葉が湧いて来ましたので筆を取った次第です。

 

それぐらいのスピードで進化していかないと僕のビジョンは達成できませんからね。

 

フリーランスとして自由な生き方を確立したい!」

なんてケチな目標で生きてませんから。

 



真面目に働くと死んでしまうクソみたいな日本の労働環境をぶっ壊したい。

僕はとりあえず世の中を変えなあかんのです。「仕事ってそういうもんだよ」と悟ったふりして、これから社会で生きる平成生まれの同胞たちに絶望を植え付ける死んだ大人たちの首を片っ端から刎ね飛ばしていきたいんです。

そのために僕が心から楽しいと思える仕事で稼げるようになるのはスタートラインでしかなくて、そこから働く人が楽しく仕事が出来る会社をつくったりしたいのだ。人が人らしく働ける雇用を生み出さないといけないのだ。


そういう人生を自ら選んで突き進むのなら、ジジイの散歩コースみたいな平坦な生き方、成長曲線ではダメだ。

 

人が見た時に「壁か?」と思われるような成長曲線を描きたい。

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このままドンドン行こう!!

23歳の仕事に必要なのは「黙ってやる力」

「自分の頭で考えられる力が必要だ」とはよく言われることですが、入社一年目の新入社員に限って言えば、自ら考える力よりも言われたことを黙ってやる「黙ってやる力」の方が必要だと思います。

 

黙ってやる力とは

先輩「この仕事はこうやって進めるといいよ」

新人「分かりました!先輩の言う通りにやってみます!」

これが黙ってやる力の高い新人。


対して黙ってやる力の低い新人は、

先輩「この仕事はこうやって進めるといいよ」

新人「はあ、そうですか…(あんまり納得できないやり方だな。自分のやり方でやってみよう)」

 

先輩の言うことを素直に聞かず、経験もないのに自分のやり方で仕事を進めてしまいます。そして大抵失敗する。

僕がまさに黙ってやる力の低い新人だったのです。ちょっとばかり自分で考えることに慣れていたために、先輩の言うことを素直に聞けませんでした。もちろん仕事は出来なかったです。

 

新人は黙ってやるべき
新人は黙って業務をこなすべきだと思います。なぜなら新人だからです。

いくら考える力があったとしても、会社での仕事に関しては先輩の方が経験もあるし考えてもいます。自分より上な訳です。だから自分が考えるよりも正しいやり方を教えてくれます。最初は納得できなくても、実際にやってみたら先輩が正しかったことが解るものなのです。

 

大事なのは黙ってやるべき時と自ら考えるべき時の見極め
黙ってやる力、ある意味で思考を停止することを勧めてきましたが、決して自分で考えることをやめるべきだと言いたいのではありません。

黙ってやるべき時と自ら考えるべき時の見極め、思考のギアチェンジを適切に行うことが重要なのです。


自分より経験豊富な先輩が教えてくれる時は、黙って教えてくれた通りにやってみるべきです。

逆にその仕事において、自分が誰よりも経験があり実力も兼ね備えている場合は、自ら考え仕事をするべきです。

仕事の内容、自分の実力、メンバーの能力、チームの中での役割…。
あらゆることを考えて、黙ってやるか、考えてやるか。

その都度、適切な姿勢で仕事に臨むことが大切なのです。

 

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終わりに

この頃フェイスブックで毎日投稿することにしているのですが、これはフリーランスの先輩に「ライターなのだからとにかく毎日投稿しろ」と言われたからやっています。

最初は(毎日かあ。毎日書くとなると質が下がりそうだな)と思ってやらなかったのですが、その先輩の方がフリーランスとして経験豊富なこと、またやる前から文句を言うのではなく、とりあえずやってみればいいと思い直して、この1ヶ月ほど毎日投稿しています。やってみると意外に質は落ちませんでした(笑)むしろブログで発信できないことが気軽に発信できるので非常にプラスです。

そんな訳で僕も、自分の中からグズグズ出てくる「えー、でもー」に対して「うるせえ黙ってやれ」と叱り飛ばす日々でございます。