起業家ニートライター

社会不適合者な人でも楽しく働ける企業をつくりたい。【職歴】就職→起業(まちづくり&キャリア支援)→ニート→フリーター→起業(ライター)立命館大学で文章力講座を担当。 2017年より京都在住。 平成3年生まれ。

若羽メディアパーティの合宿に参加して来ました!

若羽メディアパーティの合宿に参加して来ました!

f:id:ckakeudon:20170705133848j:plain

若羽(わかばね)は主に映像制作を行なっているフリーランスのチームです。僕はライターとして参画しております。そもそも、僕がフリーターをやめて2度目の起業をしようと思っていた頃に、ライターという職業を提案してくれたのが若羽代表の鶴田さんでした。

 

合宿は東京の奥多摩にあるキャンプ場で行われました。
日中はその場で動画の企画、撮影、編集まで行う、ハッカソンならぬ動画ソン!

f:id:ckakeudon:20170705134640j:plain

晩ごはんを賭けたドロケイで奥多摩を満喫!

f:id:ckakeudon:20170705134719j:plain

 

そして夜は真面目にミーティング。チーム若羽としてやりたいことを出し合い、そのためにそれぞれが出来るアクションを考え共有しました。チーム、組織としてさらに加速させて行きます!

f:id:ckakeudon:20170705133939j:plain

 

―――

若羽に加わって半年が過ぎました。組織のメンバーとして懸命に活動する、というのは僕にとって初めての経験なので日々学びが多くて楽しいです。これまでは組織の代表か、会社にいた頃の使えない新入社員の経験しかなかったので。

組織のメンバーとして活動すると言っても、代表と一般メンバーでは求められる動き方が全然違います。仕事で若羽以外の組織やコミュニティも見ていて最近思うのは、本当のフォロワーシップはリーダーを経験しないと身につかない、ということ。自分でリーダーをやった経験があれば、リーダーがメンバーに求めていることが分かるのでそれを察知して動ける。

「日本人にはリーダーシップ教育が必要だ!」と言うならばセットでフォロワーシップ教育も必要だと思います。組織の一員としていかにリーダーをサポートするか?いかに下から組織を盛り上げるか?ただリーダーに従うではフォロワーですらない。良いリーダーになるのも大変だけど、良いフォロワーになるのも同じくらい大変。
若羽メディアパーティは僕が「メンバーとして貢献したい!」と思える稀有な存在なので、良きフォロワーになるべくやっていきます。

 


若羽、本拠地は東京ですが、関西でもメンバーを募集しております!
動画に興味がある人、カメラマン、ライターなど想いのあるクリエイターはぜひ一緒に仕事しましょう!また動画の依頼もぜひ!

www.wakabane-mp.com

YouTubeで主な制作実績をご覧いただけます。

m.youtube.com

Facebookページです。いいね!よろしくお願いします!!

https://m.facebook.com/wakabane.inc/

 

 

人に仕事を与え、人を育てるオトコになりたい

最近思うことをまとめてゆくぞ。どこにたどり着くか分からないけどレッツゴー!

なんすかね。最近なに考えてますワタシ?
…。よし!


最近の活動
自分がやっている活動が大きく3つに分けられました。ライターと教育と事業づくりです。ライターは説明不要として。

教育は4月から大学で講師してます。1年生に文章の書き方とプレゼンテーションについて教えています。あと個人的に大学生を集めてキャリアに関する授業をお試しでやってます。

4年目に突入した社会人生活を振り返ると、1番取り組んで来たのは教育の分野だったり。正面切って教育をやるとお金にならないので、大学生への就活支援、若手社会人への転職支援というところで落ち着かせてました。会社を辞めて最初に自分で始めた仕事がそれです。結局、事業化しきれなくてやめてしまうのですが。

実家住みフリーターを卒業して2回目の起業に挑戦しようと考えていた時、自分に課したルールの1つに「ライターとしてきちんと稼げるようになるまでは教育に手を出さない」と決めていました。1回目の起業は「教育を仕事にしようとして失敗した」と思っていたからです。でも結局手を出している始末。。
大学で講師をやって改めて思います。人の成長を側で見るのって楽しいね。人の個性や才能に触れると感動するね。生徒はみんなかわいいね。ということで教育を封印するのは無理。

新しい方針
なので新しく方針を加えました。自分の活動を、
1、 趣味でやっているのか
2、 お金のためにやっているのか
で分けてみました。そうすると非常にスッキリしましてね、とても気に入っているのです。

ライター…これは趣味とお金が半分半分です。お金がもらえるからやる仕事もあるし、お金がもらえなくてもやりたい仕事もあります。

教育…100%趣味です。お金がもらえなくてもやりたいですね。別に仕事じゃないからと手を抜く訳ではないです。むしろ1番こだわって真剣にやっています。
モチベーションがどこにあるかという話です。本当に生徒のためになる教育が出来れば報酬はいらないし、お金がたくさんもらえても「それって生徒のためになってないじゃん」というものは嫌です。やると心が死にます。

 

お気づきになられたと思いますが、以上2つの活動だけでは充分な金銭報酬が得られないのです!ということで大事になるのが3番目の活動、事業ちゃんです。

事業…100%カネ。お金を稼ぐためにやります。お金がもらえるということは、人に求められているということです。お客さんに感謝してもらえるということです。なのでお金が稼げる事業は素晴らしいものなのです。

「お金を稼ぐだけの仕事なんてつまらない」とぬかしてた昔のおれよ、くたばれ。きちんとカネを稼げる仕事をつくれるまでお前に発言権はないのだ。

そしてこの活動は僕が代表で人を巻き込んでやっているので責任があります。別に僕はやりがいだけでいいけども、人にはきちんとお金を払わなければ。

 

あと最近の価値観では「仕事とお金を与える人かっけー」と思います。1番の趣味の教育ともリンクするんですよ。いい仕事は人を成長させると思います。僕もたくさんの人に仕事をもらってここまで大きくなりました。なので僕も、人に仕事を与え、人を育てるオトコになりとうごわす。そして適切な報酬を払いとうごわす。急に騒ぐ九州男児の血(祖父が鹿児島出身)


まとめ
社会人になって初めて「カネ稼がないと!」と思いました。いい仕事をしたければ軍資金としてのお金を稼がないとね。人と一緒に仕事をしたければ給料を払わないとね。人に給料を払えるのが大人のオトコだね。自分のお金はどうでもいいと思っちゃうけど、人に払うためならお金を稼ごうとがんばれるね。僕に1番足りなかったのは「お金を稼ぐ」という意識だったんじゃないかと思っています。

 

仕事において「やりたいこと」はどうでもいい

最近思っていることを今の段階の理解でまとめようと思います。もっとちゃんと書けるようになってからブログにしようと思っていたけど、そんなんカッコつけすぎ。途中は途中のおもしろさがあるから、それでいいのです。

―――

こないだ仕事関係の先輩がこんな話をしてくれました。
「自分がお金をもらう側として、どうしたらお金がもらえるかだけを考えている内は、お金や仕事に対する姿勢に限界がある。自分がお金を払う側、人を雇う人間になって初めて広がる視野と深まる思考がある」

―――

僕は最近、「おれのやりたいことなんてどうでもいい」と思っています。そこに至ったのは、人を誘って一緒に仕事をすることに挑戦し始めたからです。

メンバーは僕ともう2人。3人の中に上下はないけれど、「一緒になんかやりましょう」と誘った言い出しっぺは僕だし、仕事としての役割的にも代表は僕です。だから僕は2人に給料を払わないといけない。2人のためにもお金を稼がないといけない。

僕が26歳で、2人は29歳と33歳。年齢的にも無邪気に夢を追っている場合じゃない。「失敗してもいい。将来成功するための成長の時間だ」そんな悠長なことは言ってられない。

こうなると自分勝手なやりたいことはどうでもよくなる。優先順位が変わる。自分だけの野望よりも、自分がもらう分と人に払う分のお金を稼ぐ方が大事になる。お金を稼ぐとは、他者に価値を与えること。困っている人の力になること。依頼に応えること。いい仕事をすること。事業としてきちんとお金が回ること。本当に人のためになることをする。そういうことに価値を感じるようになりました。

 

というわけで、とにかくお金を稼ぐ。事業として成立させることを目標に活動しています。すでにある需要に手堅くアタックしていくスタイルで、いま取り組んでいるのが地域活性の分野です。たくさんある課題に対して、それを解決しようとしている人が少ない。需要に対して供給が追いついてないと思うので。大学の頃は地域政策学専攻で、起業して最初にやった仕事は地域活性のコンサルだったりと下地もありますし。

 

「仕事はやりたいことをやるのが1番」と言っていた頃が懐かしい。2年前、会社辞めてすぐの時期。別にあれも姿勢としては間違ってはいない。重要なのは採用するタイミング、順序、自分の状況。やりたいことを思いっきりやった結果、現在の「やりたいことなんてどうでもいい」という思想に辿り着く。やりたいorやりたくないの価値基準で動いてからじゃないと、その価値基準のしょーもなさには気付けない。

 

【ほのぼのエッセイ】僕の人生のピークは幼稚園でした

   僕の人生のピークは幼稚園の頃でした。

   同い年の子たちと比べて体が2周りは大きかったので、フィジカル面で圧倒的な優位を誇っていたのです。通っていた幼稚園は給食ではなくお弁当だったのですが、僕が必要とする栄養を詰められるお弁当箱が大き過ぎて幼稚園指定の黄色いカバンに入らず、お弁当専用のバックを持って行くくらいでした。なのでやんちゃな子にイジメられることもなく、自分の仕事(遊び)に没頭できた充実した毎日でした。

 

    同じクラスにKくんという子がいました。Kくんはまあ暴れん坊で、工作で使う素材として教室に置いてあったサランラップの芯を武器に、お友達の頭をポカンポカンやっていました。トイレットペーパーの芯ではなくてラップの芯です。めちゃくちゃ固いやつ。あれで頭をぶん殴られたら大人だって痛い。だからKくんが1発ポカンとすれば、お友達はうわーんと泣いてしまう。ポカン。うわーん。ポカン。うわーん。そうやって彼はラップの芯1本でクラスの頂点に登り詰めました。

 そしてある日、ついにKくんが僕に向かってきたのです。ささいなことでけんかになり、愛刀のラップの芯で僕の頭をポカン。「いってえな!」僕はそのままラップの芯を奪い取り、Kくんの頭をポカンポカンポカン。徹底的に叩きのめしました。

 

   なんだかんだそれをきっかけに仲良くなり、僕とKくんは一緒に遊ぶようになりました。2人で危ない遊びばかりしていましたね。というより、危ない遊びに耐えられる腹の据わったお友達が園内にお互いしかいなかったのです。ヌルい遊びに飽きたときは「おい行くぞ」と誘い合っていました。危ない遊びというのはもちろん、痛みを伴うリスクがあるということです。

   例えば、僕らのいた幼稚園は2階建てで、中の階段とは別に2階のベランダから1階に降りる非常用のすべり台がありました。そのすべり台がつるつるした石材で出来ていて、よくすべっておもしろい。なのでよく園児たちが遊んでいたのですが、あくまで非常用ということで2階からの降り口がロープで封鎖されてしまったのです。しかし、それでもすべりたい遊びに熱心なお友達は、すべり台の出口の方から逆さに登ってすべって遊んでいました。しかし、まあすべる。おまけに勾配が急。なので下から上がろうとして、すべって思いっきりあごを石材に打ち付ける事故が多発し、お友達はみな脱落していきました。最後まで懲りなかったのが僕とKくんなわけです。そうやってすべり台を楽しんでいる僕らを見て、たまに痛みを忘れた無謀なお友達がやって来る。そしてすべってあごを打って泣く。

Kくん「おいおい泣くんじゃねえよ。泣いたら先生が来ちゃ、ほーら来ちゃったよ」そして救護と共に検挙。幼稚園の先生は救急隊であり、僕たちにとっては警察官でもありました。

 

   一番思い出深い遊びは、大きな積み木遊びですね。ひとつの積み木が腕をめいっぱい回して、やっと持ち上げられるくらいの大きさ&重さでした。体の大きい僕でさえも大変でしたから他の子は誰も遊べない。だから2階の体育館の隅に放置されていました。そんな積み木がたくさんあって、ちゃんとつくると大きな城が完成するほどでした。大人になった今思い返しても、非常に楽しそうです。

 Kくんと2人でピラミッドを建設する奴隷のごとくせっせと積み木を運ぶのですが、とにかく重たいし中には三角形のものもある。三角形の重たいものを持てばそりゃ安定しないわけで、頻繁に足に落とします。

僕「いっ!!」

Kくん「どうした?」

僕「…ん、なんでもない」

積み木を何個も運べる腕力と、足を腫らしても平然としている根性。まさに僕たちにしか許されない遊びでした。

前世ってあると思いますか?

僕ね、SFとかオカルトの類いが好きなんですよ。テレビでUFO特集とか心霊特集とかやってたら必ず観ます。夜寝る前にケイタイで怖い話を(ヒイ!怖いぃ)と思いながら読んで、いつの間にか寝落ちしてるのが好きです。当然イヤな夢をみます。

今回は、最近思ってる輪廻転生についての話をしたいと思います。別に本気で信じてる訳ではなくて「前世とか来世とかあった方がおもしろいよねー」というぐらいですのでご安心ください。

ーー

不思議.netというサイトがお気に入りなのですが、最近こんな話題がありました。

人生って8周でクリアなんだって : 不思議.net
http://world-fusigi.net/archives/8589148.html

 魂の年齢、霊格レベルについて説明する。 : 不思議.net
http://world-fusigi.net/archives/8822354.html

簡単に言うと、魂を磨く、霊的に成長するために人生があって、一度きりの人生ではなく、数を重ねて少しずつ成長していく。人生はそのためにあるんだよというお話。

ーー

謙虚さという美徳が欠けた発言ですが、僕は小さい頃から理解力が高く、要領はいい方でした。

高校の頃に通っていた塾の先生に言われたのは「君は理解力が高い。でもそれにかまけて努力をしないから、結局テストの成績は並」
相変わらずおっしゃる通りです先生(笑)

今でも理解力、学習能力の高さには自負があります。意識して現象を見れば(なるほど、そういうことね)とだいたいのことはすぐ分かります。

なので「僕まあまあ頭いいんで」とほざいてたんですが、生まれ変わり系の記事を読むにつれてどうも違うなと。

 

その場で1から10まで理解したというよりかは、前世の記憶にアクセスしてる感じがする。今、学んで理解した。というよりは、昔にやったことを思い出した。という方が感覚として近い気がするんです。

だから頭が良いのではなくて、転生回数が多いから経験の蓄積が大きくて今世でちょっとでも体験すると、それを呼び水にスルスルと前世での知恵を引っ張り出せる。
そんな風に最近は思っています。

なので年齢と経験の割に老成しているのは当然といえば当然で、ご年配の方が年長者として社会の中での役割を考えるのと同じように、人より転生回数が多いと思われる者としての役割も考えないとね。とかも思ったりしますよ。

ーー

人と接する時も、年齢ではなく転生回数を考えるようになりました。(なんだこのジジイ)と思うような人がいたら(ああ、まだ人生1周目なんですね)とか。年下でも異様に人間の出来た人だったら(転生回数は先輩かもしれない。ピシッ)みたいな。

 

最後に個人的な遊びを共有して終わります。

まちで赤ちゃんを見かけた際には、軽く会釈をして(お久しぶりです)と心の中でご挨拶をします。もしかしたら以前の人生でお世話になった人かもしれないのでね。