起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

全ての仕事がプロジェクトとなり、全ての組織がコミュニティとなる未来について

最近、今まで僕がやって来たこと、やりたかったことが1つにまとまる気配がしています。

今回の話に関連する主な問題意識は2つです。


1つは、大きくなった企業が、設立当初のビジョンやミッションに沿わない事業をしているのはいかがなものか?という事です。ビジョンやミッションが達成されたらダラダラ続けないでそこでスッパリ終わりにすればいいのに。でも社員がいるから彼らの生活のために稼ぎ続けないといけない。だから理念にそぐわない事業に手を出す。例えばSONYの保険ビジネスのような。

考えていくと、どうも「雇用」という形態がよくない。という答えに至りました。「正社員として会社の業務をずっとしてね」ではなく、僕が個人として仕事をしているのと同じように、プロジェクト単位でメンバーが集まって仕事が終わったら解散。これで存続、延命のためのビジネスはなくなる。自分が共感する仕事だけに関われるようになる。企業と社員という上下の関係ではなくて、同じ目標に向かう対等なプロジェクトメンバーになれる。

 

2つ目が組織に関すること。僕が今まで見てきた組織は、すべて内部の人間関係でゴタゴタしていました。昔は不満が出ない組織をつくろうと思っていましたけど、最近はそもそも組織にするからダメなんだと思い始めました。人を囲おうとし過ぎて、人の自由を奪うから組織への要求が高くなる。「週5拘束するならそれだけのものを寄越せ」と高い要求に応えられず不満が出る。なので誰がどんな人と運営しても不満は出るのだなと。だから組織にしない。囲ってる枠の線をできるだけ薄くして、人の自由を担保する。固い組織からゆるいコミュニティへ。人が組織、会社ありきではなく、仕事ありきで働き方を考える。

 

この2つの話を統合して、自分がやりたい仕事に出会えるコミュニティ、人生を賭ける仕事が生まれる場所をつくることに、僕のやって来たこと&やりたいことがまとまる匂いがします。想いを持った人と人が出会い、実現したい未来に向かって協働できる場所。そんな妄想をしています。

引きこもりからコピーライターへ。2017年の振り返り

2017年、今年は「リハビリ」の1年でした。

2015年に会社やめて起業して失敗。2016年はひたすら実家で腐っていました。2016年の10月頃に復活し、2017年1月から新天地の京都に引っ越し。

自分は何がやりたいのか?どこを目指すのか?という軸をもう一度つくる必要がありました。最初の起業の時にも色々考えてはいましたが、一度失敗したことであると、自分の中でバッキバキに折っていました。

 

心機一転、今年からライターをやってみることにしました。でも完全に未経験だったので、すぐに多くの仕事がもらえるはずはなく。

軽いノリで始めたライターだったので、軽いノリでやることがウロウロしました。大学の講師の仕事が来たのをきっかけに、教育への情熱が再燃し、大学生向けの講座を考えてみたり。最終的にやりたいのは、人が幸せに働ける企業をつくることなのだから、フリーライターでがんばるより事業をつくれば?と思ってビジネスモデルを考え、実際に顧客を探してみたり。

たまたま夏頃にライターとしての仕事がちらほら貰えたのと、「やること分散してるから結果が出ないんじゃん」とやっと気づいたので、ライター仕事だけに集中し始めました。

実際に仕事をやることで色々見えてきまして、迷子になってた自分探しの旅はようやく終わったと思います。

 

ターゲットは誰か?

企業のビジネス展開を見ると、ある特定の顧客に対して、顧客が求めるものを全てサービス化しよう。という動きが見えます。

ということは、どんなに事業を広げても、中心のターゲットとなる人は1人であるということ。つまり、ここでよく考えずに自分にとってどうでもいい人をターゲットに設定してしまうと、どうでもいい人を相手に仕事を続けていかないとならない。顧客に価値を提供し続けるために、自分が1番好きな人、一生関わって生きていたいと思う人物像をターゲットに据えるべきです。

僕がこの1年で見出したターゲットは、「主体的に生きる人」です。問題意識を持ち、それを自ら解決しようと意志を持って行動している人。こういう人が僕は大好きで、一生関わって生きていたいと思うし、その人が進める仕事が少しでもゴールに近づけばいいと思います。

そして、こういう人たちの中から、「人が幸せに働ける会社をつくる」という目的地を共有し、将来、一緒に事業を起こし会社を回せるパートナーが見つかればと思います。

 

どんな価値を与えるか?

そんな主体的な人に、僕はコピーライターとして、PRで貢献したいと思います。

いい商品をつくってもらって、僕はそれを世に届けるために働く。想いに共感はしつつも、「お客さんは本当にそれを求めているんですか?」と冷静な意見もぶつけて行く。そうやって本当に人のためになる、人生をかける意味のある仕事を、共にできたら最高です。

 

自分しかやろうと思わない仕事

おかげさまで、この1年でここまでのことが言えるようになりましたー。

去年は「やりたいこと?んなもんねえよ!」というやさぐれ状態だったので本当に良くなりました…。感涙

来年は、これを具体的な事業に落とし込み、きちんと収益を上げられるようにしていきます。

 

あと、今年は10年、20年、果ては30年、仕事をしてきた人が、それだけの年月をかけてたどり着いた「その人にしか出来ない仕事」に加えていただくことが多かったです。

「自分にしか出来ない仕事」なんてよく言われますけど、本当は「自分しかやろうと思わない仕事」が正しい表現だと最近思いました。出来る出来ない、技術の話ではなく、やるかやらないか。そもそもその発想に至るかどうか。その人の想い、「何のために仕事をするのか」という信念の話であると。やっぱり、やってもやんなくてもどうでもいい仕事より、「やるしかない!これはやるしかないっすね!」と話を聞いた時にテンション爆上げになる仕事が楽しいっすね。

 

来年も、というか一生、僕も(何のために仕事をするのか)と自問自答しながら、同じようにその人しかやろうと思わない仕事を追求する人と出会い、共に仕事をしたいです!

才能と努力

ビギナーズラックは神様からの贈り物

ビギナーズラックってあるじゃないですか。初心者が経験者よりもいいプレイをしちゃうやつ。あれってその分野の神様からの贈り物だと思うんすよね。

例えばゴルフなら、
『はじめまして、ゴルフの世界にようこそ。どうぞ楽しんでいってね』byゴルフの神 みたいな。
初心者の人に勝たせてあげて『ほら、ゴルフって楽しいでしょう?ぜひまたやってちょうだいね』というメッセージ。優しい世界ですわ。

1発目が楽しければ「おもしろかった!またやりたい!」と思える。それを思い出に、理想にしてがんばれる。そうやってがんばった人がより奥深くおもしろさを知れる。

 

僕、いまライターで文章を書くことを仕事にしてますけど、思い返せばちゃんとビギナーズラックという名の贈り物をもらってるんですよね。

小学3年生の時に授業で小説を書くことがありまして、そこで作文や読書感想文ではなくフィクションとしての文章を初めて書きました。あの時、アイデアが湧きまくって筆が止まらないということを体感して、めちゃくちゃハイになっていたことを今でも覚えています。

あれで『文章を書くってとても楽しいことなのよ』と教えてもらったから、書くことへの抵抗が無くなり、15歳から今まで10年以上続いている日記を書くことに繫がり、それがブログに繋がり、そして今ではライターとして文章を書いてお金を貰えるまでになりました。ありがとう文章の神様。

 

才能とは、楽しめること
人は誰でもなにかの才能を持っているというのが僕の思想です。あることに興味を持って楽しめること。それが才能だと思っています。楽しければ自然といっぱいやるので、結果的に誰よりも上手くなる。その結果だけを見て才能がある、才能がないと普通の人は言いますが、そうではなくて、

楽しめる才能がある→楽しいからたくさんやる→人より多くやった結果、人よりも上手くなる

ということだと思っています。逆に興味がない、楽しめなければ、人と同じくらいかそれ以下の時間しか使わないので、結果それぐらいのレベルになると。

いい文章の書き方を人に教えたりして痛感するのは、どんなことでも上手くなるにはひたすら数と量。コスパのいい方法なんてなくて、ただ膨大な時間をぶちこむしかない。

 

自分の「楽しい!」を探す努力をする

そしてぶちこむためには、何よりも「これをやってるのが楽しい」というのが大事。楽しくないことに自分の人生をたくさん使うのはただの苦痛ですからね。苦痛なことを我慢してやり続けることを世間では努力と呼んでますが、僕はまっぴらごめんです。なぜなら僕の人生は苦痛を味わうためにあるのではないからです。

努力すること、コツコツやり続けることが大事なのではなくて、自然とコツコツ努力できる、自分だけの「これ楽しい!」を見つけることが大事だと思っています。苦しいことからは逃げたらいいんです。逃げて他の場所へ、神に愛された自分の才能を探しに行けばいいのです。

「苦痛に耐えることが人生」みたいな昭和の価値観では、我らが平成生まれは幸せになれんぞ、と強く思っています。

投票めんどくさい

世は衆議院選挙じゃないですか。僕、大学で政治学専攻だったくせに、最近は投票行かないんですよ。てか政治自体を気にするのをやめたんですよ。だって不祥事ばかり見させられて腹が立つだけだし、腹が立ったところで一般人にはどうしようもないし。それを見て愚痴を言うだけのおっさんにもなりたくないし。

 

投票も1票入れたぐらいじゃなにも変わらないし。「大人の責任果たしてる」的な満足感なら別にいらないし。そんなことのためにニュース見て新聞読んで、投票所がどこか調べて時間つくって行ったり。その結果、得られるリターンは?そんな時間があるなら仕事した方が自分の幸せに繋がるわ。と思うので我関せずのつもりでした。が、

 

こないだ市民税の支払い通知が来まして。額は大したことないんですけど、めっちゃムカつきまして。「俺が必死に考えて行動した結果手に入れたお金を紙1枚で『寄こせ』とは何事だ」と。払った分の仕事をしてくれれば何の問題もないんですが、果たしてお前、仕事してるのかと。仕事してるとして、それを市民に伝える努力をしてるのかと。「あなたの市民税で、これとこれとこれをやっています」と分かりやすく説明できるのかと。

 

さあて、ここまで書いて自分で、子どもみたいなこと言ってんな。とは思って来ましたが。

 

払い込みだからこういうことになるんですよ。払う払わないの最終決定権がこちらにあって、しかも自分で払いに行かないとならない。会社員の時みたいに勝手に取っていかれる分にはいいんです。今回は、こちらからお金を用意して自ら払いに行かないといけない。行動しないといけない訳です。なので僕は、自分に行動してもらうために自分自身にお伺いを立てないといけない。

 

「あの、市民税の払込書が来てます」

『市民税?はいはい、払っとけばいいのね』

 

普通の人ならこれで済むと思うんですが、

 

『そもそも市民税って何?』

って言いだすんですよこいつは。こいつは、って僕なんですけどね。

 

『市民税って何に使われてんの?内容によっては払わないけど』

自分自身を納得させるのが本当に大変っすわ。死ぬほどめんどくさがりなのでちゃんと理由がないと動いてくれません。いったいどうしましょ。

 

みたいなことをぼやぼや考えていて思ったのが、今後、同じことが起きるなと。

今はまだ零細自営業だからいいけども、これから仕事が加速していくと、所得税なり法人税なり払わないといけないものが増えて来ますよね。となるとまた同じことを言うに決まってる。

 

『なんで社会のためにより多く働いたやつからより多くカネを持っていくの?そのカネで救う弱者は本当に救う価値があるの?救うとしてもその救いかたが本当にいいの?』

みたいな。

 

あー、めんどくさ〜こいつ。世の中たいていのことに意味も理由もないんだから「なんで?」なんて疑問を持たず黙ってやっときゃいいの。でもそれができないから今ここにいるんです、という事実。疑問を持つのはどうしようもない。これこそが愛すべき自分。

 

ということで「政治なんて関わっても時間のムダ」と思ってましたが、やはり関わざるを得ないのが政治のようです。。

 

つうわけで、まあ気は進みませんが、将来の自分を納得させるために投票行こうかなと思っています。候補者とか調べたりしちゃおうかな。やっぱりめんどくさいな。

 

このブログ&運営者について

起業家ニートライターです。個人でライターをやっている26歳です。

就活を前にした20歳の時に、

(これから人生のほとんどを仕事で過ごす、ということは…仕事がツラいと人生がツラくなる。。あかんあかん!自分が楽しめることを仕事にせな!)

と思い、様々な試行錯誤を経ての今があります。

 

以下ざっと経歴です。

 

就職するも会社員が向いてなさすぎて、入社5ヶ月で逃げるように退職し起業。


知人から頂いた地域活性化コンサルの仕事、自分で人材紹介業を始めるが両方失敗。


実家に戻りニートを6ヶ月、その後はフリーターをしていましたが、「このままでは後悔しかない人生になる」と思い、2017年から起業仲間のいる京都に移住、ずっと文章を書くことが好きだったので、ライターとして再スタートしました。

 

最近の主な仕事

神田のワーキングスペース BIRTH KANDA

http://birth.tears-drop.com

こちらのサイトのライティングを担当しました。この仕事が非常に楽しかったので、現在は主にホームページ制作をやっています。

 

今後やりたい仕事

うどんが大好きなので、なにかしらうどんに関わる仕事がしたいです。香川への移住を検討中です。

 

karasimentai.hatenadiary.jp