仕事において「やりたいこと」はどうでもいい
最近思っていることを今の段階の理解でまとめようと思います。もっとちゃんと書けるようになってからブログにしようと思っていたけど、そんなんカッコつけすぎ。途中は途中のおもしろさがあるから、それでいいのです。
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こないだ仕事関係の先輩がこんな話をしてくれました。
「自分がお金をもらう側として、どうしたらお金がもらえるかだけを考えている内は、お金や仕事に対する姿勢に限界がある。自分がお金を払う側、人を雇う人間になって初めて広がる視野と深まる思考がある」
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僕は最近、「おれのやりたいことなんてどうでもいい」と思っています。そこに至ったのは、人を誘って一緒に仕事をすることに挑戦し始めたからです。
メンバーは僕ともう2人。3人の中に上下はないけれど、「一緒になんかやりましょう」と誘った言い出しっぺは僕だし、仕事としての役割的にも代表は僕です。だから僕は2人に給料を払わないといけない。2人のためにもお金を稼がないといけない。
僕が26歳で、2人は29歳と33歳。年齢的にも無邪気に夢を追っている場合じゃない。「失敗してもいい。将来成功するための成長の時間だ」そんな悠長なことは言ってられない。
こうなると自分勝手なやりたいことはどうでもよくなる。優先順位が変わる。自分だけの野望よりも、自分がもらう分と人に払う分のお金を稼ぐ方が大事になる。お金を稼ぐとは、他者に価値を与えること。困っている人の力になること。依頼に応えること。いい仕事をすること。事業としてきちんとお金が回ること。本当に人のためになることをする。そういうことに価値を感じるようになりました。
というわけで、とにかくお金を稼ぐ。事業として成立させることを目標に活動しています。すでにある需要に手堅くアタックしていくスタイルで、いま取り組んでいるのが地域活性の分野です。たくさんある課題に対して、それを解決しようとしている人が少ない。需要に対して供給が追いついてないと思うので。大学の頃は地域政策学専攻で、起業して最初にやった仕事は地域活性のコンサルだったりと下地もありますし。
「仕事はやりたいことをやるのが1番」と言っていた頃が懐かしい。2年前、会社辞めてすぐの時期。別にあれも姿勢としては間違ってはいない。重要なのは採用するタイミング、順序、自分の状況。やりたいことを思いっきりやった結果、現在の「やりたいことなんてどうでもいい」という思想に辿り着く。やりたいorやりたくないの価値基準で動いてからじゃないと、その価値基準のしょーもなさには気付けない。
【ほのぼのエッセイ】僕の人生のピークは幼稚園でした
僕の人生のピークは幼稚園の頃でした。
同い年の子たちと比べて体が2周りは大きかったので、フィジカル面で圧倒的な優位を誇っていたのです。通っていた幼稚園は給食ではなくお弁当だったのですが、僕が必要とする栄養を詰められるお弁当箱が大き過ぎて幼稚園指定の黄色いカバンに入らず、お弁当専用のバックを持って行くくらいでした。なのでやんちゃな子にイジメられることもなく、自分の仕事(遊び)に没頭できた充実した毎日でした。
同じクラスにKくんという子がいました。Kくんはまあ暴れん坊で、工作で使う素材として教室に置いてあったサランラップの芯を武器に、お友達の頭をポカンポカンやっていました。トイレットペーパーの芯ではなくてラップの芯です。めちゃくちゃ固いやつ。あれで頭をぶん殴られたら大人だって痛い。だからKくんが1発ポカンとすれば、お友達はうわーんと泣いてしまう。ポカン。うわーん。ポカン。うわーん。そうやって彼はラップの芯1本でクラスの頂点に登り詰めました。
そしてある日、ついにKくんが僕に向かってきたのです。ささいなことでけんかになり、愛刀のラップの芯で僕の頭をポカン。「いってえな!」僕はそのままラップの芯を奪い取り、Kくんの頭をポカンポカンポカン。徹底的に叩きのめしました。
なんだかんだそれをきっかけに仲良くなり、僕とKくんは一緒に遊ぶようになりました。2人で危ない遊びばかりしていましたね。というより、危ない遊びに耐えられる腹の据わったお友達が園内にお互いしかいなかったのです。ヌルい遊びに飽きたときは「おい行くぞ」と誘い合っていました。危ない遊びというのはもちろん、痛みを伴うリスクがあるということです。
例えば、僕らのいた幼稚園は2階建てで、中の階段とは別に2階のベランダから1階に降りる非常用のすべり台がありました。そのすべり台がつるつるした石材で出来ていて、よくすべっておもしろい。なのでよく園児たちが遊んでいたのですが、あくまで非常用ということで2階からの降り口がロープで封鎖されてしまったのです。しかし、それでもすべりたい遊びに熱心なお友達は、すべり台の出口の方から逆さに登ってすべって遊んでいました。しかし、まあすべる。おまけに勾配が急。なので下から上がろうとして、すべって思いっきりあごを石材に打ち付ける事故が多発し、お友達はみな脱落していきました。最後まで懲りなかったのが僕とKくんなわけです。そうやってすべり台を楽しんでいる僕らを見て、たまに痛みを忘れた無謀なお友達がやって来る。そしてすべってあごを打って泣く。
Kくん「おいおい泣くんじゃねえよ。泣いたら先生が来ちゃ、ほーら来ちゃったよ」そして救護と共に検挙。幼稚園の先生は救急隊であり、僕たちにとっては警察官でもありました。
一番思い出深い遊びは、大きな積み木遊びですね。ひとつの積み木が腕をめいっぱい回して、やっと持ち上げられるくらいの大きさ&重さでした。体の大きい僕でさえも大変でしたから他の子は誰も遊べない。だから2階の体育館の隅に放置されていました。そんな積み木がたくさんあって、ちゃんとつくると大きな城が完成するほどでした。大人になった今思い返しても、非常に楽しそうです。
Kくんと2人でピラミッドを建設する奴隷のごとくせっせと積み木を運ぶのですが、とにかく重たいし中には三角形のものもある。三角形の重たいものを持てばそりゃ安定しないわけで、頻繁に足に落とします。
僕「いっ!!」
Kくん「どうした?」
僕「…ん、なんでもない」
積み木を何個も運べる腕力と、足を腫らしても平然としている根性。まさに僕たちにしか許されない遊びでした。
飲食業界でいまだに炎上する「あ、水でいいです」問題について
飲食店業界でいまだに炎上する「あ、水でいいです」問題について - すすきの総合情報サイト[すすきのへ行こう]
たまたまこの記事を見つけ「そう、この話な!」ってなりました。
例えば焼き鳥屋さんなんかの居酒屋で、料理を注文する際に
店「お飲物いかがされますか?」客「あ、水でいいです。」
店「烏龍茶などのソフトドリンクもありますよ」
客「いえ!水で!(やや切れ気味)」
こういったやり取りが今全国の酒場で散見されているというのです。
これが「あ、水でいいです」問題だそうな。
僕はお酒が飲めるようになったのは社会人になってからなので、学生の頃、友達や先輩と居酒屋に行くときは、ごはんを食べ行くつもりで行ってました。そういう時に「お飲み物は?」って言われて返答に困まってましたね。
(本当は水でいいんだけど、それってアリなのか?別にいらないドリンクを頼むくらいならそのお金でチャンジャを食べたいんだが)みたいな。
ドラマ「孤独のグルメ」が好きでよく見ていました。主人公が仕事で訪れた町々でピンと来たごはん屋さんを訪問する。という趣旨の番組です。
主人公は下戸なので、居酒屋的な店に入る時もお酒は頼まずにウーロン茶を注文します。焼肉屋で「お飲み物は?」と尋ねられた時も「あ、水でいいです」とは言わずにウーロン茶を頼んでいました。
作中でそういったマナーについて語られることはなかったのですが、それを見ていて(そういうものなのか)と思うようになりました。
最近では日本酒が美味しく飲めるようになったこともあり、いい感じの居酒屋を見つけたらちゃんとお酒を飲むつもりで行きます。
でもこの記事のように、
酒場や喫茶店での最低限の心得
・居酒屋や喫茶店では最低限1杯ドリンクを注文する。
居酒屋や喫茶店は、利益構造自体がドリンク側にある場合が多いです。名言がなくてもドリンクをオーダーしてあげましょう。
・オーダー数に見合わない長居をしない
これは特に居酒屋なんかの話ですが、1ドリンク1フードで2時間も3時間も長居する人がいます。もし自分みたいなお客さんばっかりだったらお店が成り立つか?想像してみて下さい。
・混んで来たら席を空ける
出来れば長居は避けたいけど、居心地よいとついつい長居しちゃう時もあります。混んで来たら席を空けることで、お店側の機会損失の原因とならないことが最低限のマナーです。(ラーメン屋なんかの回転命なフード中心のお店の場合は言わずもがなです。食ったらとっとと退席しましょう。)
ルールやマナーを守って、あなたの好きなお店を、そして街を応援して行きましょう。
最低限の心得(ドヤ)
なーんて書き方をされちゃうと「あぁん?」となる訳です。特にこれ。
これは特に居酒屋なんかの話ですが、1ドリンク1フードで2時間も3時間も長居する人がいます。もし自分みたいなお客さんばっかりだったらお店が成り立つか?想像してみて下さい。
想像してみてください(キリッ)
うるせえっつうの。お店の経営にまで気を使わなきゃいけないんだったら家でメシ食うわ。
そういう人が居ても経営が成り立つよう居酒屋には「お通し」っていうシステムがあるんじゃないですかね。そもそも僕はお通しに納得してないですけど。だってお客が頼んでないものを勝手に出してきてお金を取る訳ですよ。ちょっとのきんぴらごぼうで300円とかただのぼったくり。こっちはそれを甘んじて受け入れているのに、さらに最低限の心得なんて言われた日にゃあね、たまったもんじゃあないよ。語尾が江戸っ子にもなるわけだあこりゃあ。
どう思います?「あ、水でいいです」問題。
就活は1社目を辞めてからが本番
デジモンOP『Butter–Fly』を作詞作曲した千綿偉功はもっと評価されるべき
デジモンアドベンチャーOP『Butter–Fly』
カラオケランキングで上位にランクインする人気曲です。デジモンファンの僕はもちろん大好き。
デジモンソングということを抜きにしても本当に素晴らしい曲で、歌い手の和田光司さんはちゃんと褒められています。
Youtubeの『Butter–Fly』へのコメントを見ると「和田光司最高!!」的なコメントがあります。
しかし「千綿偉功最高!!」というコメントは見たことがないので、僕が紹介しようと思いました。
千綿偉功とは?
『Butter–Fly』の作詞、作曲をしたのが千綿偉功なのです!
つまり『Butter–Fly』の生みの親、それが千綿偉功。
携わった有名な曲はこちら。
デジモンアドベンチャー主題歌『Butter–Fly』作詞、作曲
デジモンアドベンチャー02挿入歌『僕は僕だって』作曲
デジモンフロンティアED『イノセント〜無邪気なままで〜』作曲
金色のガッシュベルOP『カサブタ』
カサブタは作詞、作曲、歌手も千綿偉功!
表に出る歌い手が注目されがちですけど、作詞家、作曲家もぜひ注目してみてください!
最近自覚した作り手への敬意。文章でも音楽でも、なにかをつくるということはそこに人の意志と人生が詰まっていて、それに対する評価は「いいね!」しかないと思う。
つくられたものに対して、批評ではなくただの悪口を言う人は(自分で何もつくったことがない人なんだな)と思うようになりました。