起業家ニートライター

起業と引きこもりニートを経てライターしてます。企業理念の策定、発信代行などをしています。平成3年生まれ。

「引きこもり」を再定義する

引きこもり。もうこの単語も普通に意味が通じるようになって来ましたね。でもそれぞれが抱いている引きこもりのイメージには違いがあると思います。引きこもり、という言葉がなにかを表現する際により使いやすいよう、元引きこもりとして引きこもりについて最近考えたことを書いていきます。


「空間的引きこもり」と「人間的引きこもり」
引きこもりには「空間的引きこもり」と「人間的引きこもり」がいると思います。

僕は人間的引きこもりです。「人に会えるゲージ」みたいなやつが僕にはついていて、例え仲の良い友達でも一緒にいる間は減っていく。ゲージが少なくなると、気を使うのが難しくなって人への対応が雑になる。自分の家に遊びに来てくれている友達にも「早く帰れ」って思います。別にコミュ障ではないけれど、でも他人と一緒にいる時間が長すぎるとテンションが下がる。それが人間的引きこもり。

 

空間的引きこもりは、自分の部屋から出なくても息苦しくならない、お外に出るのが苦痛なタイプ。僕は空間的引きこもりではないので、すみませんが説明はざっくりで。

一般に使われている「引きこもり」は空間的引きこもりと人間的引きこもりを一緒くたにして使われている気がします。あと引きこもり=ニート、みたいな印象も受けます。

僕は人間的引きこもりですが、空間的引きこもりではないです。なので人に会いたくないために家にいる時でも、だいたい夜には空間的にツラくなって買い物や散歩に出かけます。

 

ルームシェアをしていた頃の友達は、空間的引きこもりなので休日は基本ずっと家に居ました。でも人間的引きこもりではないので、電話で友達と話したり、LINEやFacebookTwitterでひたすら人に絡んでいました。

 

 

僕は大学卒業後、4月から8月末まで5ヶ月間会社にいたのですが、精神的にずっとツラくて、休みの日は誰とも会わずどこにも行かず、ずっと家に引きこもっていました。

この現象を「会社で働くことが向いてない」と説明していたのですが、もしかしたら人に会いすぎて疲れていただけかもしれないですね。基本的に会社にいる間は誰かしらと一緒にいるじゃないですか。なのでどんどんゲージが減っていく。僕のゲージは、週5日の勤務に対して休みが2日では回復が間に合わない。だから僕はずっと調子が悪かった。仕事終わりに会社の人と飲みに行くのも、一緒にランチをしに行くのも嫌でしたから。でも別に会社の人が嫌いだった訳ではなくて、単純にひとりの時間が欲しかっただけ。人に会えるゲージを回復させる時間が欲しかっただけだったのではないかと今は思っています。

 

人間的引きこもりの新社会人へ
仕事はそこまでキツくないはずなのに、土日全く家から出れない。という新社会人は単に人疲れかもしれません。人に会えるゲージが普通の人よりちょっと少ないだけ。でもそんな人は働き方を考える必要があると思います。


僕はライター、文章を書くのが仕事なので、仕事時間の半分以上はひとりで過ごしています。これなら人間的引きこもりの僕でも大丈夫。仕事の受注はリアルでしか受けないので営業や打ち合わせもありますが、多くても1日に1件3時間ぐらい。これぐらいなら無理がない。


あと最近、電車や車で人と一緒に移動している際に「一旦失礼します」と断って、イヤホンで音楽を聴くというゲージ回復方法を実践しています。だいたい5曲も聴けば回復して人と話したくなるので、イヤホンを外して「ただいま」と言います。めっちゃ効果あるのでオススメです。特に友達との旅行中とか。「早く家に帰りたい」とか思わず旅行を楽しめると思います。

 


周りを見ると、人と丁寧に接する方ほど休日は人間的引きこもりが多いようです。気を使う分ゲージの減りが早いのでしょう。


僕も色々気にし過ぎる性質です。これは迷惑じゃないかな?不快に思われないかな?と考え過ぎてなんにも出来なくなります。そして疲れます。


これでは生きるのが大変なので、歳を取るごとに雑になって来ています。成長です。

(◯◯さんに会いたいけど、いきなり連絡して迷惑じゃないかな?忙しいだろうしなぁ。。って気にしすぎー。とりあえずメールしたらええねん。そら送信)みたいな。


人間的引きこもりの同志諸君。休日にバーベキューをするような活動的なリア充社会人にペースを乱されることなく、僕たちの日々をゆるやかに過ごしていきましょう。